2008年04月30日

恐ろしくも奇天烈、理解するには心神喪失にでもならないと……。



GWくらいあまり事件に関して耳にしたくないのだが、これは陰惨過ぎて、こんなおどろおどろしいことをやるのは怪奇小説の中だけにしてよ、と想った。

場所がオーストリアと聞けば、どちらかと言えば文化の香気あふるる土地柄と思ってしまうが、聞くと見るとは大違いなのか、たまたま例外的な人物が生息していただけなのか、こういう閉塞状況で生きていた被害者である娘たちの、また互いへの想いも考えると、ますます陰々滅々、魑魅魍魎の世界ではある。

現在のところではこの事実を妻は知らなかったということになっていて、これもほんとかよ、と思うが、娘がこの父親であるこの男の娘を産んで育っている上、それが妻に知られずに済んでいるとしたら、この部分がどうしてもわからない。

太陽の光を見ずに生きて、生きているとは言い難いと思うが、こういう状況を造り出してそれを続けられる、その感覚がこれもどうにも解せない。日本でも夫をバラバラにした歌織とかいう女の事件があったけれども、その行為や価値観が見えてこないのは同様である。

まさかこの犯人も心神喪失と医者が断定したりしないだろうが、専門家と言われる人間の判断さえ近頃は奇妙奇天烈、冤罪になどなればますます救いもなき袋小路のような司法で、司法自体がこの地下室のような場所に閉じ込められたような状況で進行するがごときである。

詳報がなお必要だけれども、なんとも暗黒に閉じ込められた事件ではある。人間だけが起こす事件であることだけは確かなことらしいが……。
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2008年04月28日

性産業見本市に集うカップルの想いは、性スタイルの発見?



こんどはブラジル・サンパウロにおける「エロティカ・フェア」、先頃のイギリス・ケンジントンにおけるエロスの祭典「エロティカ2006」と趣が変わるのはお国柄の違いか。

南米は美人が多い、というより女性=美人と同義語で、格別大いに美人が目立たぬらしい、とはホントかウソか知らぬが、みな美人だととても気取って澄ましてもいられぬし、競争に打ち勝つために少々の努力も必要だろうから、美人が多いということはいずれにせよ男にはエエことなのである。

同じショーでもどうやらこちらの方はブース出展方式のようで、アダルトグッズやコスプレ衣装を販売するブースや刺激的なストリップショーや、看護師の衣装やヒョウ柄のジーストリングなどを販売、バイブレーター、毛皮のついた手錠、アダルトゲーム、プラスチック製の性器のおもちゃまであり、それもほぼ中国や米国産のものばかりというから、これは性産業見本市とでもいった趣ではなかろうか。

女性客が多いようなのも南国らしいオープンな情熱の現れかも知れぬし、意外にアダルト産業の歴史は浅く30年ほどというのも、もともとが開放的であれば隠微なその世界を自ら開拓しなかったのかもしれない。けれども参入してくる未知のアダルトグッズに、改めて目を見開かされて、性的志向も少しは変化をもたらしているのかもしれない。

だいたいいつもかもオープンであれば時には隠微にいたしたくなるのがセックスで、これはいつも同じ相手なら趣向を変えないとマンネリにもなるということでもあろうか。
いつもかも相手を見つくろうのも面倒だが、時には相手を変えてみるのも性のおのずからの生命力、エロティカ・フェアとはそんな性の漂流情動のあだ花と言えるのかもしれない。
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2008年04月26日

人類の些細な鈍感がもたらす大迷惑!



海のある生活は、万人の夢と言ってもいいもので、その海辺のわが家が海面の上昇でじわじわと埋没の危険にさらされているとならば、夢も同時に埋没していく仕儀で、環境公害の実害もまさしく人の置かれた環境さまざまという気がする。

こんなブログを書いていても、先般の神奈川たばこ条例に関した回では狼藉じみたコメントがあり、コメントにもマナーが必要ということすら眼中にない方のようですから即刻削除しましたが、質問とも言えないイチャモンにここで応えると、筆者はエコ・カーが愛車で、喫煙は致さず、携帯もほぼマナー・モード、その場で受けることはほとんどなく、歩きながらなど皆無。架電すら携帯ではほとんどしないくらいの利用度。するときは時と所を選ぶ余裕を持ちます。

基本的に電話嫌いということもあり、必要最小限の便宜を活用するのみで、一刻を争う要件などそうざらにはないし、そういう生活は本質的に嫌いなスローライフ派なのですね。
それでも携帯で便利なのは電話そのものより、動く電話帳、スケジュールメモ帳代わり、あるいは待ち合わせのときが重宝、いつもかも電話で対応というような日常は避けたいとすら思っております。

というわけで少々脱線かもしれませんが、このニュースほどの被害はなくとも、被害を及ぼす側にはまわりたくはないのです。とりあえず携帯は日常的にお邪魔虫のはた迷惑の存在で、少々時と所を選んでもらいたいものではあります。

海面上昇というような自然破壊の結果とくらべようとも思いませんが、人類の些細な鈍感がもたらしていることは共通している、と言えはしないでしょうか。些細もあちこち頻繁では大迷惑となり、ほんとうに海のある生活に逃げ込みたいのですがねえ。
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2008年04月25日

人類のいちばん好きなものは結局これだろうなあ。



――こういうのこそ日本でやってほしいのよ!
まあ嫌いな人いないからなあ。一部眉をひそめるのもいるかもやけど?
――あの謹厳なベートーヴェンもエロチカやってるよ。
あれはエロイカだろう。
――エロには違いないんだろう?
違いがあるんよ。まあそっち方面に血が充満してしもとるようやから詳しく言うのんやめるけど、確かに身も心も躍り出すのがエロチカや。

――心はそれほどでもないんやけど、身の中心がなあ、勝手に踊りよるねん。制御不能状態やねん。ウーン!ムーン! どないかなりそうや。
おまはんの、それは病気や。病気治さんとエロチカは楽しむとこまでいかんのよ。紳士のたしなみくらいにしとけ、おまえのは早漏、ちゅうやつや。
――難しい漢字はわからん。エロエロええ、ちゅうのはわかるんよ。

まあつける薬もないようやけど、紳士の国⇒英国ケンジントンで開かれているってのが味噌かもなあ。
――紳士もエロチカには紳士づらをかなぐり捨てる、ちゅうこっちゃろ。写真だけでもおっぱいと脚線美の洪水やない!たまらん!

生唾飲みこみよる。エロチカは遠距離恋愛を超えるかもなあ。おまはん見とると、それがようわかるわ。
――な、な、なんで日本でやらんの?
おれもそう思うたけどな、おまはん見てようわかったわ。日本で開くと痴情事件が増えるからやろ、エロチカは遠きにありて催すもの、かな。
――ダ、ダ、ダメえ! もっと近くば寄ってらっしゃい!
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2008年04月24日

危なくない産業もアブナくするのが政治やねんなあ。



ユニークな新製品、というだけでわれわれシロウトは、ワクワクどきどき嬉しくなるわけだが、これも産業という流通の一環であることはおぼえといた方がいいのかもね。

もちろん産業はいつも夢とも結びついて、未来を明るく照らす素材でもあるけれども、軍需産業というのもあるから、利用の仕方で夢にも悪魔にもなるというわけ。

先ごろその軍需産業がらみに多額の税金が消費されたようなニュースも流れたけれども、産業は業を興すとともに、利権も生んでいくことも覚えておいた方がいいのかもね。

実際マネーを生み出す打出の小槌が利権だから、世界が注目するのはユニークな新製品の外貌以上に、その背後に抱えている利権の行方なのかもしれない。しかしニュースはその行方をとらえることは少ないから、不祥事のたび、その利権構造にシロウトはびっくりするわけ。

少々お話がそれたけれども、無駄遣いを容認するような政府を抱えていると、夢素材を観ても、おちおち夢見ているだけではお尻もどっしり落ち着かないというわけ。辛いなあ。
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2008年04月22日

結婚ほどローマにふさわしいドラマもなかろう!



ローマは、ハリウッド人士も一目もニモクも置く、西欧のみならず世界の聖地、劇空間と言ってもいいので、私的にもそこに降り立ち四囲を眺めやるだけで歴史が立ち込める想いがしたものである。

そのローマの誕生日が、紀元前753年4月21日というのに因んで、模擬結婚式をするというのだから、いっそ本物のカップルも入れ込んで、結婚してもらえばさらに良かったかとは思う。前日に記念のパレードも催されたようだから、結婚の背景としてローマほどふさわしい都市も少ないだろう。

伝説によれば、ローマは紀元前753年4月21日にギリシャ神話の英雄アイネイアスの子孫である、双子のロムルスとレムスにより建てられた、とされる。
ロムルスはレムスとローマを築く場所について争い、レムスを殺した。その後、ロムルスは7代続く王政ローマの初代の王となり、またローマの市名の元となったとされる。

考古学的には、この地に人々が居住したのはもっとはやく、ローマの起源は紀元前8世紀もしくは9世紀ごろ、北方からイタリア半島に移動してきた民族がテヴェレ川河畔に定住したことにさかのぼると考えられているが、恒常的に人が住むようになったのはこの頃らしい。紀元前8世紀にはじまる鉄器時代の遺跡はパラティーノの丘で発見された。

ということだが、私のローマはそれをも超えて「ローマの休日」であり「恋愛専科」であるので、スペイン広場にあのグレゴリー・ペックやオードリーがいるような錯覚、トロイ・ドナヒューとスザンヌ・プレシェットがスクーターですれ違う錯覚をもたらす劇空間ではある。

いずれにせよ結婚式はローマでするという理想は、ローマの起点という以上に、人生の起点ともしたい劇空間ではある。
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2008年04月21日

わが国の惨状は恋愛も許されへんよ!



諸外国の宰相はお盛ん、このあたり日本も少しは見習ってほしいようなものだが、ちまちました風聞ではなく相当な器量を感じさせるお相手でないと、すぐに政争の具にされてトーンダウンかもね。

よくそんな暇があるなあ、といつも一触即発24時間勤務みたいな責務で、相手の相当な協力も必要と、他人事だからあれま!という感じではある。最もやりたくない職業である政治家のそのまた恋愛など、異次元のお話だけど、この間のプーチンのゴシップはなんだったの、記事を書いた雑誌も廃刊、取りつく島もない対応で、十数人のジャーナリストが不慮の死を遂げているというきな臭いお話と連動する話題でしかなかったなあ。

その点、恋愛大国のフランス・サルコジのお相手は英国でも人気で、国家のイメエジに寄与すること大だったかと、カーラ・ブルーニ人気とともにそういうお相手を選択した見識で政治家としても声価いや増し、というところやないだろうか。

だいたい政治があまり話題になるときは国情騒乱、緊迫の問題山積な時で、恋愛や結婚がもっぱらな話題ではむしろ糾弾されるだけかも知れぬし、その以前に情操の豊かな国情が前提条件だろうし、大いにその話題を楽しむ余裕も必要だから、わが国には永遠に無理かもなあ。

なにしろ75歳を過ぎても満足な年金も頂けず、そこからさらに姨捨保険料までむしり取ろうと、そんな法律を平気で造る政治家が大多数、桑原クワバラというのが現状。
75歳から支払いを生じないようにするのが政治で、請求書の案配を交通巡査のように差配するだけが近ごろの低級政治家のシワザ、交差点で旗振るだけやったら政治家などいらんのになあ。
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posted by キャッツ・アイ at 11:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 政治

2008年04月19日

環境公害を抑制する最小の行為は禁煙やろなあ。



禁煙してもう10年は過ぎたけれど、喫煙者はどんどん地上の居場所を減らしとるなあ。これもマナー悪いからなあ。携帯のマナーとともに、日本の二大悪癖かもしれん。

これでたばこそのものを購買する場所も減ることだろう。条例が出たぐらいでは効き目も緩やか、悪癖もなおらんだろうけれど、肝腎のブツを仕入れるところが減れば、少々は身に応えるかもなあ。

まあもともとすべて税金を納めて購入しているくらいのもの、踏んだり蹴ったりみたいなもんやけれど、もうおしゃぶりやめたら? というような忠告というくらいに思うたらエエ。経済的にも健康的にも、公衆衛生的にも、百害あって一利なし、ということになってきたんやなあ。

目先5メートルしか視界がなければ、当面の効用もあれこれあるかも知れんけれど、ストレスなど違う形でいくらでも発散できるもので、それを探せないとすればそのこと自体が少々たばこの弊害とも言える中毒や。

もう環境公害に加担して済む時代やない、ちゅうこっちゃ。汚れに汚れて、タバコ吸わなくても健康などイチコロの時を過ごしているのに、それを倍増させることはない。歩きたばこも見苦しいけれど、そのことに気づかぬ鈍感はさらに見苦しいもんや。




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posted by キャッツ・アイ at 15:24 | Comment(0) | TrackBack(1) | 社会

2008年04月18日

時には存在を超える存在に想いを巡らすのも夢想の跳躍力の練磨!



存在そのものを直接観測することができないのに、存在を確認されるブラックホールとは、その存在自体がいかにも超絶技巧じみて、宇宙的感触に溢れる。

いわば端的には星の墓場と言っていいものだが、幾多の星を抱えながらその穴自体は膨らむこともないというから、増殖しつつも凝縮している、言葉としても成立しがたいほどの存在である。

いやいや、存在という概念そのものがブラックホールの前では形骸化してしまうようなものなのだ。『時空の他の領域と将来的に因果関係を持ち得ない領域』とは、恐るべき孤独の極―――孤独という言葉が叙情的であり過ぎるならむしろ酷薄の極の極、ということかもしれない。

そう感じ取るならば、この存在自体がどうも人類の黙示録染みて見えてくる。数学的にはその真反対の放出し続けるホワイトホールというのが都合よくも在るらしく、ブラックホールとホワイトホールは一方通行のワームホールで繋がってい、脱出できないはずのブラックホールからの
ワープも可能だという理論もあるというから、ますます混迷の人類の相似画にも見えてくる。

しかし収縮したものが脱出できたとして、その姿はいかなることとなっているのか、これも怪の怪、議論百出、あまり希望も見出せそうにもない。ブラックホールという存在が希望なのか絶望なのか視点にもよろうが、この宇宙からさえアウトドロップできる存在というのは、極めて意志的、家族をも拒否してお宅的に生きるひ弱なひととは外見だけは似ているようで、その凄まじさも自己確立も比類がない、と感じるのは筆者だけだろうか。

愚かしいことを続けるうちにやがて地球も、その幾多の星屑と同じに吸い込まれて影カタチをなくす、ということであろうか。
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2008年04月17日

生前から天使になろうとしたスターを悪魔たちがいじくりまわす!



死して半世紀以上、なおこうして話題となるマリリン・モンローだが、そっとしておいてやりたいというニュースや。いつまでMMの安眠妨害をするねん、そのうえこの1億5000万円は誰が受けとるねん、捜査のために仕入れたものをこんな用途に使っていいのか、すべて時効の闇ということか。

出生から死までもともと多くの謎に包まれているのだから、いまさら睦言の中身を売買してどうする? ということや。
FBIもしっかり管理せんかい、生前からやくたいもない興味の対象にされ続け、傷つきやすいその性と生を翻弄され続けたマリリン・モンローや。静かにしたってえな、ということや。

ジョン・ウェインもスタジオですれ違うたび、なだらかな腰のラインに手が伸びそうになり、口笛でそれを押しとどめたという魅力やし、ヘンリー・フォンダはその印象を小柄でひっそりと可愛い女性と、フォード一家の2巨星にしてからが振幅の高いそれぞれの印象を語っているぐらいだから、間違いなく男にとってその吸引力はなまなかなものではなかったのである。

「お熱いのがお好き」('59)「荒馬と女」('61)が、その実像に近い魅力と、筆者などは思うとるが、もうノーマ・ジーン・ベイカーとしてゆっくりさせとこうやないか、その出演作品こそがもはや彼女の実像なのだ。生存者がいくら金と時間の無駄がいくら好きでも、死者の秘密まで暴くことはなかろう、というこっちゃ。


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2008年04月16日

価格にもモデルにも、まして絵にはびっくりしたな〜、もう!



びっくりしたな〜、もう。
この絵を見るといったいどこに飾ろうというのやら、落札した億万長者は所詮資産倉庫に眠らせるだけかもしれないが、あまり目に触れさせたくない絵ではあるなあ。まあそれだけ訴求力もあるということではあるけれども。

モデル料4000円といったって、失礼ながら吾輩なら払うどころか払ってもらいたいようなものだし、飾るところに事欠いて公衆の目に触れるところに置くと、街の美観を損なうとかなんとか抗議の嵐かもしれないから、使い勝手飾り勝手、置き勝手も思案投げ首というところだろうなあ。

聞けば画家はあの精神科医ジークムント・フロイトの孫というから、なにやら納得もするなあ。こういう絵を手掛けること自体がもう心理学的な行為にも思えてくるから、血は争えないものよなあ。
その祖父にそのあたりをしっかり分析してもらいたいようなものでもあることよ。まあ、びっくりしたな〜、もう。と言ってくれると、親近感いや増すと思うけれども。

この絵の始末に困るのは購入者で、いまその行き先を助言するとするなら、正しく「奇観公園」や「奇観博物館」に寄付すれば、その用途も価値もさらに高まると思えるが、いかがなものであろうか。
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2008年04月15日

女のランジェリーには必ずミステリーがひそむ!



もともと下着というのは人の目に触れないものだよね。
ごく身近な、特有の関係にならない限り、知ることもないファッションなんだけど、そのファッションショーとなると、これ公開だから不特定多数に見られるわけだ。下着も見られるけど、それ以上、下着をつけたボディも視られる!

まあモデルさんは商売だから見られてナンボや。下着メーカーも同じやし、デザイナーも同様、見られてナンボや。
見られてこそのランジェリー。見られた時のランジェリー。
それは見てくれ!という欲求もはらんだランジェリー、
これっていかにも女ごころを代表しとるんやないかしらんね。

見せたいけど見られるのはちょっと? 見られるのは嬉しいけど恥ずかしいし、でも見られたい? みんなに見られたいけどみんなはイヤ? この二律背反を抱えてだいたい生きとるのが女性という性。
女のランジェリーは女性の性の表徴。性の情動が隠し持った露出への欲求。

男の性に比べて屈曲しているのが女の性で、そのランジェリーこそ、その御シルシとも言えるだろう。
だからこれを楽しむのは同性以上に、男であって不思議ではない。
なにせその中身を際立たせてこそランジェリーの魅力。ランジェリーに限らずあらゆる脇役を総動員しての、ボディの魅力。

見ることと、見られることの、アンビバレンツを孕んでランジェリー・ファッションは存在する。まさしく女性の性の饗宴!
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2008年04月13日

優秀なメカも使いこなすのがド阿呆ではなあ!



しかしアホは何処にもいるものやけど、ド阿呆も全世界にちりばめられているものよのう。無免許でスピード違反、信号無視、飲酒運転の上、ケータイ! 迷惑携帯か。しかも連行されている最中もその携帯止めなかったというド、ド、ド、ドード阿呆やないの。

無免許だけでもあぶなかっしい迷惑で、こういう連中「俺の辞書には迷惑という文字は無いんや」と心の臓に書いてあるんやろ。
自殺したい奴は人知れずひっそりするのがマナーというもんや。他人を捲き込むような女々しいことだから辛い人生にも尻尾を捲いてしまうちゅうこっちゃ。

自殺する気でなかったんは百も承知や。先頃も直線コースに脇から携帯片手にいきなり曲がってくるド阿呆のために急ブレーキを踏まされる羽目になったばかりや。携帯に夢中で運転は片手間、お留守や。
こんなド阿呆が走っているから注意はし過ぎるということはないんや。まあド阿呆に持たせるべからず!の、あらゆるメカやなあ。

優秀なメカを持たせると自分まで優秀と、勘違いするのがこの類のド阿呆や。おまけにマナーの操作も満足にできないのに、この手の連中に限って、そういう行為をかっこエエとでも思うとるフシがある。携帯運転同士で正面衝突になって一緒に昇天してくれと切に願うわ。バカは死んでも治らないけどな。迷惑のお裾分けはいらん!ちゅうねん。

まあこれも教育も政治も不在の国に住んでいると、あたりまえの日常かもね。島国根性というのはそれに輪をかけて、「俺だけやないもん」とか「みんなやっとるやん」という言い訳まである。
このうえは、アメリカの一州となるか日本海を埋め立てて地続きとなるか、脅威を顔面に突きつけられんとわからん鈍感に必要なんは、それくらいの荒療治やろなあ。ド阿呆にはウンザリや。
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2008年04月10日

インド美人はアジアの誇るべき最美の美人!



アジアで欧米に負けない美人国は何処か?
まぎれもなくインドだと筆者は思うとるんだよね。
基本的に他の国では、扁平な顔と、表情も薄く仕種にも大胆さに欠けるから、極めて稀少な例外を除いて、欧米には太刀打ちできないのではなかろうか。

その例外の多くがインドなので、その美しさが引けを取らないのは少しも扁平ではなく、アジアの分布の中で最も彫りの深い、眼窩も窪んだ、欧米とアジアの混血とも見える美観が素晴らしい。

一時ブームにもなった「踊るマハラジャ」を観ても、インドの女優さんの美しさはなまなかではなかった。彫りの深さに加えるに東洋の寡黙さが、そのまま神秘性をいや増し、西洋的美質と東洋的美質の融合というべき統合を果たしている。

日本はその点むしろ数からいうと美人は少ない国と言っていいので、ミス・ワールドもミス・ユ二バースもほんのわずかの入賞者にとどまっている。全部名前を記憶できる程度の入賞なのだ。しかも優勝はたった1回。

この点、インドは圧倒的である。この10年ほどの間にその二つのコンテストの栄冠を最も数多く獲得したのはおそらくインドではないか、と思えるほどによくそのニュースを耳にする。たとえばミス・ワールドののちトップ・スターともなったアイシュワリア・ライの美しさを見よ!

だいたい少女漫画に描かれた美人は日本では絵空事だが、インドでは現実なのである! であるからして、こんな端っ切れ程度のニュースでなくこのコンテスト自体の完全中継をして、美人に対する美的感性を高める時間を造ってほしいくらいなのである。
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2008年04月09日

いかつい風貌でも、紳士として高名、政治的にはいかついけどね。



ハリウッドの黄金期がいつと決めるのもそのフォーカスにもよるでしょうが、スターの訃報を聞くたび、そのスターへの思い入れが深ければ深いほど、わがハリウッドの終焉を感じることひとしおではないでしょうか。

筆者は男なのでどうしても女優主体となりますが、最近では今年1月19日スザンヌ・プレシェット、昨年10月16日デボラ・カーなど、わがハリウッドがその終わりを告げたようにも感じたものではあります。(このリンクはぜひ覗いてその未見の作品を追悼してもらいたいものです)

チャールトン・ヘストンの場合は、そのいかつい男っぽさが印象的で、これに比べられる粗野な野性の男っぽさは、マーロン・ブランドくらいではなかろうか、と思えるくらいです。
その活躍の場は多く史劇、そしてスペクタクル、一番企画の対象になり得なかったのは現代のラブ・ロマンス、ではなかったか、と思えます。

ちょうど日本で言うなら高倉健の出る映画がその多くが厳寒に震える雪景色の作品、間違っても温暖で、風光明媚な過ごしやすいところが舞台になることはなく、映画はいつも熱帯よりも寒帯の趣の作品であったことと似ています。ヤクザ映画でさえ趣は寒帯ですよね。

受賞歴を観ても「ベン・ハー」のアカデミー主演男優賞、ゴールデングローブのセシル・B・デミル賞と聞けば史劇、そしてスペクタクルというのを敷衍しています。
天の邪鬼の筆者などは同じウィリアム・ワイラーの映画でも「大いなる西部」のヘストンの男ぶりの方が見事な説得で、グレゴリー・ペックより(「ローマの休日」ならともかく!)女性ファンは好き嫌いを超えて、自らの生理でこのへストンに魅入られてしまうのではなかろうか、と思うわけです。

実際のヘストンはペックとともにハリウッドを代表する紳士として高名、野性をひけらかすことも男ぶりを誇示することもなかったようです。まあ政治的にはジョン・ウェインともどもタカ派的で、ライフル協会のこと?もあり、という部分もなくはないのですが、所詮人間は環境の動物、仕方ないかもですよ。




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2008年04月07日

果てなき争闘、死に至る病、力の支配は一時の勝利!



チベット族の問題、いよいよおさまりがつかない雲行きだねえ。もともと価値観が違う人種が融合するためには、相手の価値観を肯定することが第一歩! なのにねえ。

これはたとえば親子の間柄だって、無理やり強要すればどうなるか、ということを考えただけでもわかることなのにねえ。
力関係でやむをえず片方が片方の言うことをたとえその場では聞いたとしても、不満はくすぶり、本心で信じていることが否定されたわけだから余計渇望は高まり、その強要された表向きの事象などに、心は少しも縛られない。

子供だったら自殺するか家出するか、それもかなわぬなら機をうかがうのみで、親を尊敬するどころか、その俗物性に永遠に反発することだろう。親は良かれと思って言っているつもりでも、子の性格も志向も、願望も夢想も計画も、それがたとえ幼いものであろうとも、全否定されるような事態には、子も精一杯相手を全否定する力を蓄えようとするしかない。

そして時移り必ず立場は逆転するのである。ましてその時徹底抗戦出来ず無理やり力で押さえつけ支配してしまったとすれば、内に閉じ込められたエネルギーを侮っていては親子ですら和解は後々もまこと難しい。
これが民族となると、歴史をまたぐ争闘、世代を超えた紛争となる。

人類が他の人類を支配しようとするこの懲りない人類の歴史に、いずれ呆れ果てられてその種族の存亡の危機がほんとうにやってこない限り、果てることはないのかもしれない。創造主が造った最も不出来な生き物、それは人類であるようだなあ。
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2008年04月05日

クラシックは文化のバロメーター!



映画化(オリバー・ツイスト、クリスマス・キャロル、大いなる遺産)もされるからタイトルをいえば知ってはいても、今の若者がディケンズを何%くらいが知っているのかなあ。かつて世界文学全集華やかなりし頃、ディケンズの作品は定番だったけれども……。

多くの作品は孤児が主人公というのも、いまどうなのだろう、物質的繁栄は世界文学全集の新編が編まれなくなってから、とも言えると思うけど、貧乏孤児も、ネット孤児も、コミュニケーション孤児も、あちこちで量産されているからなあ。

ディケンズをエア・ポケットから拾い出してくる器量が、結構孤児脱出の秘策だったりして……。
えてしてすべてのアートは人の分水嶺の暗闇を照らす燈台、ともいえるから、こんなニュースからでもディケンズ耽読の機運が高まればめでたきことではありますが……。

しかし、昔のこうした家具を見ると、クラシックな落ち着きがあっていいものだなあ、と思う。だいたい現代の新品と並んでクラシックなものがいつでも身近に取り出せることこそが文化と言えるわけです。
年金から保険料を天引きすることの不思議を感じない、現代の政治にはこれがないように思いますが、文化のバロメーターとしてのクラシック、あなたはお持ちですか?
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2008年04月03日

戦争を始める政治家が聖職となり得る方法



アクターズ・スタジオ・インタビューで「最もやりたくない職業は?」というのがある。死刑執行人や刑務所看守と並んでよく出てくる応答が、政治家である。

名匠にして名優であるクリント・イーストウッドですら、苦笑いしながら「政治家…手を染めてしまったがね」と返したくらいである。
さほどにまともな神経なら政治家などになろうとは思わぬのが普通だが、これほど忌避されながらなお次から次になりたがる連中のいる職業も珍しい。

変わりはいくらでもいるというわけだが、為政者となり果てるとこれほどご本人だけが変わりがないと思う職業もないだろう。ことに戦時においておや、である。
「戦争に決意した政治家はその身を最前線に捧げなければならない」
こう法律に決めておけば、だいぶ戦争そのものの発生は防げるだろう。

とにかくわが身は安泰で、他人の命を投げ出させるのが為政者における戦争というものである。どれもが聖戦という名のもとに、大量殺戮、大量戦死を迎えることとなる。

政治家の代わりがゴマンといるという認識を持てば、貴重品のように身の安泰が最優先事項でもある戦時の在りようは不思議以外ではない。人海戦術というが、実は政治ほど人海戦術の恩恵をこうむっている営為はないからである。

最前線に出なくてはならない政治家という、時代がもしあるとするなら、まさにその時、政治家こそ聖職である。(現状は死刑執行人と変わらない。それも裁判を経ずしての無差別殺人というわけである)
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2008年04月02日

妍を競う女性文化の旗艦は、消費社会の爛熟?



いよいよ銀座も着々とその模様替えを果たしてきて、いまやまさしくクリスタル銀座と命名すべき時がきたわけである。
これに追い打ちをかけるように、銀座三越が伊勢丹との経営統合で大店舗を虎視眈々ということだから、女性の消費願望へ向ける街づくりは完璧に向かうことになるだろう。

いずれにせよ男を相手にすればあまり美しい街は出来そうもないから、これはこれで正しい文化戦略ではある。
女が立ち寄れば男が消費する、古来よりの人間社会の構図は今も揺るぎがない。これだけブランドが賑々しく軒を競えば、景観もまた壮麗に揺るぎなしである。

ただし男の行く末は多く縁なき衆生となるも必定、早く富豪の仲間入りをしなければせいぜい裏通りの飲み屋か食いもの屋でお茶を濁すしか、あまり用もなくなるのかもしれない。
まあこれも社会的地歩を固めてきた女性文化の終楽章と言えるのかもしれない。

男としては今やアリストパネスの「女の平和」の逆ヴァージョン、「男の平和」に与してその無聊を慰めるべきかもしれない。
個人的にはまだ「伊東屋」があるさ、とその橋頭保が僻地へ移転などしないことを望むばかりだが……。
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posted by キャッツ・アイ at 04:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文化

2008年04月01日

溺れても藁はつかむな!困った時こそ自分頼み!の試練!



教祖の写真が出ていないけれども、これまでも似たようなことは日本にも幾度もあった。溺れる者藁をも掴む、というが、それは藁と知らずに掴むので、冷静を失うとワラも藁に見えないというたとえでもあるだろう。

この宗教に関わりを持たない部外者がこの教祖の顔を見れば、たいがいその教祖は藁そのものの場合が多く、とても命を預けるような対象にはならないということにすぐさま気づく。たいがい気づくはずなのに入信した信仰者(溺れる者)には後光が射して見えるのだろう。

信仰の不思議は盲信の不思議で、いつも思うのは信仰を進めるほとんどの人が幸福そうではないということに気づけば、その岐路にも気づく。
要は同病相哀れむ、の世界に連れて行かれ、共感現象を重ねるうちに、なんでもすべてを肯定してしまう境地に導かれていくのだろう。

教祖の顔を見ただけでまるでホームレス、と感じる部外者と、この世を超える特別な人と感じる信奉者、この落差は大きい。
宗教も多くの場合、金品を捲き上げるシステムに過ぎない、ホトケの顔も金次第なんてことも、冗談交じりに客観的な立場で少しは思う人も、いざ溺れてしまうと、まさしく同工異曲。

迷えるものが溺れるものとなる道筋はきわめて近い。他人事と自分事の差も実はさほど差はないのが、困った時の神頼み。信仰を進める信奉者が不幸マーク、その宗教の教祖の風体がホームレス、冷静な間にこれをチェックしたほうがまずは正解、かもね。



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posted by キャッツ・アイ at 13:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

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