2008年08月31日

所詮政治、やっぱり政治、されど政治では不能分野が続々?



政治の恩恵より、政治の犠牲という方が、いつも多大に感じるのはどうしてだろう。政治が権力闘争である限り、政治は権力の誇示により熱心で、政治そのものの施行による恩恵が稔る前に、いつも政治はその恥部を明らかにしていく。恩恵を感じるのはおそらくその周辺の利権団体のみということが多いんではなかろうか。

人間にとってもはや政治は癌細胞なのかワクチンなのか、正直判別のつかない仕儀に至っている、と思われはしまいか。
組織や集団があちこちでその綻びをあらわにする中で、伊藤和也氏のような個人の営為の方が輝いて見えるのは、このことをなによりも明かしてはいまいか。

先頃のオリンピックにしたところで国威発揚の場ではあるにしても、その国を離れて個人の方がそれぞれ国家を超えて輝いていたことを思えば、これももはや時代の転換点、国より個人、集団より個人に、シフトは変容されてきているのではないだろうか。

政府が行う給油活動は政治の成せるワザだろうけれども、民間活動である伊藤和也氏の営為の方が現地の人との心を結んでいることの方を、政治の視野に入れていかなければ政治は政治として政治たり得なくなっているメルクマールとした方が正解に思える事態なのではあろう。

もはや機能的でない政治の仕組み、視野狭窄が日々露呈する政治という営為、これからはさらに個人がそれを次々と明確にしていくに違いない。時代の速度は虚妄と化した政治では既に追いつかないスピードで進行しているというしかない。
少なくとも良き政治という幻想を持ち続ける限りは……。

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2008年08月30日

建築事情が生むフラストレーションの反証のような逆さまの家!



どうもこれは居住するための住宅ではなく見せるための逆さまのようで、なかの仕様も全部逆さまの模様。となると途端に、あまり興味も無くなるが、外の仕様が逆さまと感じるのは、常識がもたらす概念で、こんな外側の仕様の建築があってもおかしくはない。

これは見世物だから中身も逆さまで、入ってそれを観る観客に錯覚の楽しみを享受させるというようなたくらみだろうけれども、中身を丸ごと逆さまにしないまでも、従来の概念で造られる建築仕様を錯覚にしてしまうような発想で建てられてこそ、新建築とも呼べる建築物も出来るのかも知れない。

居住空間としての建築物というと、わが国の一般住宅、建売住宅やマンションはまこと画一的で、その時々の流行りみたいなものを、これも画一的に取り入れはするが、そこに居住する人間が住んで心なごみ遊べる空間としてはまことに心もとない。だいたい夫婦&子供ふたり、或いは2世帯住宅というくくりでその空間を仕切る発想がいつまでも続いていることすら異様ではある。

それこそこのあとは自由にお楽しみくださいと、一切の過剰な親切を取り払って、居住する人間自身の好みや工夫が加えられる自由を残した方が、まことの文化住宅と呼べるのではなかろうか。
そしてまたそれを生かし切る購入者がいてこそ文化も花開くとは思うが、どうもそれは場違いの発想なのかもしれない。
逆さまの屋根など思いついてもそれを具体化するには空間も、生涯1住宅というよな現実では、そんな遊び心も吹っ飛ぶだろうし、遊び心なしに造形がみやびになるわけもない。

などと、こういう変形住宅を提示されると、意に添わずとも3LDKなどという仕切りの住宅を購入した筆者は慨嘆も込めて綴るわけである。
夢多き建築という素材を画一性に埋没させて建築家とはこれいかに?ではないか。いやいや商業とは画一への迎合の部分もあるからねと、古来よりアートと商魂との軋轢を想像してしまうと、壁多き建築事情とはご同情申し上げる次第ではあるが……。

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2008年08月28日

諸行無常、罪深きこと、あゝ原罪!



事件の舞台がイスラエルということで余計人間の原罪に関して想いを馳せるなんとも陰惨な経過。幼児虐待は大小問わず日本でも頻繁に聞くけれど、これは近親相姦まで混在し、その陰惨さはニュースに倍加するものではないだろうか。

祖父といっても45歳、母親は23歳、惨殺されたのは母親の実子、祖父の息子の子でもあるという中で、その実の父親がどういう感情でこの経過を見ているのかが定かではないけれど、娘ローズちゃんこそが死人に口なし、もっとも経過を知るということではあるだろう。

幼児虐待でよく想起するのは、テレビなどで「親の悪口を言うような奴はロクな人間ではない」ということばである。
たとえばこのローズちゃんが長じて成人し、このことばを聞いたらどう思うだろう。おそらく反論や、親の悪口を言う前に、心の闇を抱えて生きたその心情はむしろその言葉を実に虚しいものとして受け止めるだろう。受け止めようもない能天気な言葉ではなかろうか。

言った本人は余程恵まれて育ったか、それ以外の視野は想像のほかだろうからこそそんなことも言えるのだろうが、みなしごや捨て子に近い境涯で生を紡いだ人間にこの言葉はむしろ持って行き場もない悲しみをもたらすだけではなかろうか。

夏休みが始まると給食が無くなるから食事をどうするのか心配になるという小学校の先生がいるというし、その先生が教職を去る原因の最大は父兄の対応に疲れるからだという。
親は親の権利を行使することができても、子は子の権利を行使することなどできはしない。事件を含めこれら一切合財は、親は親であるから親であるのではなしに、親となるべき学びの努力をしなければ親にすらなれない、ということを示しているような気がする。

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2008年08月27日

人間としての男の原初のカタチを体現したスター!



ショーン・コネリーも78歳か、人はみな歳を取るといってもジェームズ・ボンドは永遠のジェームズ・ボンドと、ショーンのボンドを記憶にとどめている人間には、あまりにも颯爽、あまりにも無敵のボンドは老化さえ破裂させてしまうような幻想さえ持つのである。

いやいや、そうではない。男としての存在感がそこらの二枚目スターを完全に凌駕するからだし、スポーツジムなどではなく、まさしく労働で鍛えられたその肉体の前では、ほとんどの男が吹っ飛んでしまうからだろう。その風貌にさえ厳然と人生の含蓄を垣間見せるこの顔にも、ほとんどの男は負けてしまうであろう。

その作品の幅も広いのはまさしく近頃流行りの<人間力>の成せるワザであろう。荒唐無稽のように観えて作品としてもおとなの鑑賞に耐え得ることが多かった007シリーズに限らず、時代の風景が変わろうと、アクション俳優としては異形の「薔薇の名前」('78)などにも代表される一見ミスキャストというべきその風景に溶け込むのも、その<人間力>の成せるワザなのである。

ヒーローから出発しながら、さまざまな時代のさまざまな瞬間に身を染め、なおその活動が足跡をとどめたのは、アクション活劇であろうと、コスチュームものであろうと、初老をとどめる人生ドラマであろうと、そこにその風貌さえが生む人生観照の凄み、といったようなものが厳然と存在しているからだろう。
ショーン・コネリーは映画スターという範疇さえ逸脱するくらい、たぶん人間という生物が生むスターであっただろう。これはおそらくあなたの身近な多くの女性たちが同様に証言してくれるだろう。

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2008年08月26日

これが本場のタンゴ、やっぱり本場もん!観たいねえ。



五輪一色の時が流れていき、その終了と同時に開催されたのがこのタンゴ世界選手権、まだ6回とは意外に歴史も浅いね。2003年が第1回、1年に1度ということらしい。
もちろんタンゴの歴史は19世紀半ばよりの遥か1世紀をを超える深く永いものがあるわけだが、その生地と言っていいブエノスアイレスでの開催、これが本場のタンゴというわけである。

野球もタンゴくらいの普及度をしてからオリンピック参加種目になった方がその存続のためにもいいので、それまでは世界野球に専念した方が各国への普及のためにもいいような気がするねえ。アメリカ主体というカタチを各国持ち回りにする必要はあるだろうけれど……。

それはさておき、もっとも隠微なダンスとも言われるタンゴ、その隠微ゆえにおとなのダンスであり、その普及の過程にはあまりの人気とその性的魅惑に教会が顰蹙、禁止や弾圧もあったというから、人に歴史あり、と同じで、1ジャンルを生成する過程には幾多の困難も果たしてきたわけである。

しかし、その暗鬱でありながらうねるような情熱の調べの底には、いろいろな民族の情感が重ねられて、一種独特の魅惑があることは間違いのないところだろう。中南米を中心に発展しながら、そのアルゼンチン・タンゴと、ヨーロッパに移入されアレンジされたコンチネンタル・タンゴと、いずれがあやめカキツバタ、である。

その本場のダンス選手権ならLIVEで中継してもらいたいようなものだが、ときにNHKが来日公演を編集放映するくらいを愉しむのみ、地球の裏側だから、そのタイトなスカートの裾をひらめかし、その切れ目から大胆に覗かせる太腿の魅惑は、余計イマジネーションを喚起し、垂涎なのではあるなあ。

もともと組もうがひとりであろうと、ダンスは性的なイマジネーションの発露、その極北とも想えるタンゴこそ筆者にはダンスの王様とも思えるが、如何だろうか。

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2008年08月25日

無事閉会式、あれこれ元気づけられたね!



事前の不安から言えば大いに盛り上がった北京五輪ですが、野球好きにはソフトボールの金メダルは際立ったね。プロ野球代表みたいな一方の星野ジャパンがいささかみじめだったので余計倍して輝きを増したね。

戦後の論評も気をつけていますが、ナベツネの御用聞きみたいな評論家がいまさらに星野ジャパンという呼称にいちゃもんをつけたのには驚いたね。長嶋ジャパンのときからそう言えよ!と驚くのみだが、こういう輩がメディアを仕切っているから、いつも真実はオブラート。

五輪野球とソフトボールの違いは、寄せ集めと生え抜きの差、そしてエース不在とエース絶倫の差。打たれて帰ってきたピッチャーを迎えるベンチがほとんどその選手にそっぽという映像を見れば、それがすべての敗因とも思えるね。心理的にはすでに針の筵の選手にベンチも針のむしろでは再生できなくて自然。

一方ソフトボールは万全のチームワークが凄かったね。上野投手も凄いけど、斎藤監督も3打席連続ホームランを大舞台で打ったこともあるスラッガー、代役である筈のショートが病も超えて活躍というのも感涙ものだし、それゆえにこそという要因も目白押しだったね。

ところで野球とソフトボールおんなじように見えるけど、数々違う
ボールの大きさが違うし、ピッチャーは投げる姿勢が下手投げでなければならないし、その下手投げも野球のような下手投げではルール違反と細かい規定もある。
投手捕手間から塁間距離、競技場が違う。
さらには走者離塁はピッチャーが球を離してからだから投手も牽制の必要が無いんだよね。
もっとビックリは野球ではあたりまえの、打ったあとバットを放り投げないこと。これはマナーということらしいけれどね。

いずれにせよオリンピック連続メダルでついに頂点を極めたソフトボール、野球より復活の可能性は高いようだよ。あれこれ、ありがとさん。

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2008年08月24日

いいところなしの敗退、大きな壁に阻まれたメダルへの道!



結局、どの試合も打てなさ過ぎ、肝心なところで打たれ過ぎ、負けるべくして負けたなあ。あれこれ敗因もあるだろうけれど、実力差と思った方がいいのじゃなかろうか。なにしろ韓国と米国には2回試合をし、2回、つまりは4回も負けているのだから。

相手投手が良かったのか、自軍が不調だったのか、双方ともあるのだろうけれども、金メダルしかないと星野監督が戦前に言っていた割には、想いも浅かったと言えるだろう。技術的力量が僅差なら、想いの強さが後押しすると筆者などは思うからである。

エース・ダルビッシュが初戦でつまづいた。大砲としての役割を期待していたのにそのホームランどころかヒットすら出ない選手、救援で失敗などふだんは数えるほどなのにことごとく自滅した選手、大試合特有の重圧もあったかもしれない、しかし、それも実力と思った方がいいだろう。条件は他国も同じなのだから。

戦績は全部で4勝5敗、勝つべき相手にはことごとく負けた。韓国は一度も負けずに金メダル、その韓国に負けただけのキューバが銀メダルとは、まことに順当な結果というしかない。星野ジャパンは惜しいという言葉すら出てこない敗退なのである。この現実を受け止めるのみである。

個々の選手にとっては悪夢というしかなく、その場を消え入りたいというくらいの屈辱で、たとえ終わっても忘れ去りたいくらいの衝撃で尾を引くかもしれない選手もいて、察するに余りあるが、或いは逆にこのくらいの大試合での試練はその選手のさらなる飛躍につながるかもしれない。そう願い、野球のあった5大会、ついに金メダルは一度も手中にできなかったお預けの栄光は、たとえ再開されてもそれによってしか達成されまいと思う。

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2008年08月23日

美しき<野性>の真価は<虚栄>を嫌う!



この場面に朝青龍というその理由がはっきりとはせぬが、こう並んでみるとシャーリーズ・セロンの180センチを雄に超す女丈夫ぶりがかえって際立つ。男たちの蔭に可愛く慎ましくではなく、寸分もその存在のありようを小さくすることなく、明瞭な闊達さが見えるのが南アフリカの野生に裏打ちされた個性なのではある。

どうもウィル・スミス演じるヒーロー「ハンコック」が作品上、当初嫌われもののスーパーヒーローというところが朝青龍の出番となったらしいが、なあにシャーリーズも来るんなら筆者だって覗きに行きたいが、アクションに耐えうるウソっぽくないタッパと野生であるとは思う。

元々は美人女優としての売りでスタートしながらも、その初期作品で最もはつらつ、魅力を輝かせたのが、オカルト映画「ディアボロス/悪魔の扉」('97)や、ゴリラとの競演が似合った「マイティ・ジョー」('98)であるとすれば、 敏捷な野性を根に持つ黒人で、快活で気さくなウィル・スミスが相手役なら頃合いの風景となろう。

汚れ役でことさらに汚れなくても、むしろその置かれた環境をこそ汚濁に溢れさせれば、その明るい生成りの個性が強靭なバイタリティで反発力を持つのがシャーリーズの個性なのである。
野性はもちろん虚栄を嫌う! おわかりですよね。

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2008年08月22日

誰しも元々は美しい白鳥へと成長する醜いアヒルの子たち!



まあもろにブサイクというと語弊もあるけれど、それだけ女性不足に悩んでいる鉱山町ということだろう。けれどブサイクにその言い方はブサイクと反発するくらいはまだしも、この町長を全面否定することはなかろうという状況ではなかろうか。

ものごとをはっきりするためには少々の反発も乗り越えて事態を好転する必要もあるわけで、ブサイクというキイワードに正面衝突していては心立てがブサイクということにもなりかねない苦境がこのブサイク発言の底にあると思えば、腹を立てていても始まらないだろう。

町長はこうも言っているようなのだから。
「『たで食う虫も好きずき』という言葉がある。歯がきれいな人、髪が美しく波打っている人、目がブルーやグリーンの人を魅力的と言うこともできるが、気だてや振る舞い、物腰など、そういうものこそが魅力を作り上げる」

もちろん『たで食う虫も好きずき』とは翻訳者が意訳をしたのではあろうけれど、この後半部分にまで反発はしきれないというところではある。とすればさらに「やがて美しい白鳥へと成長する醜いアヒルの子たち」とも言うオーストラリア・クイーンズランド州マウント・イサ(Mount Isa)のジョン・モロニー(John Moloney)町長とは、なかなか粋な部分もお持ちと思うが如何だろうか。

誰しもが醜いアヒルの子の部分を抱え、どう脱皮しようかと思い悩んでいることを考えれば、少なくともそのきっかけはここに提示されていると思うがどうだろう。
なにごとも、ことはアクション!から始めるしかないのだから!

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2008年08月21日

タイブレーク・ルールは役人根性!かもね。



勝っても負けても大勢に影響なし、せいぜい準決勝の相手が変わるくらい。とはいえ1次リーグ4位というのは肩身も狭いなあ。

それにしても打てん打線、ええピッチャーばっかりいうことかも知れんけど打てなさ過ぎ。まあダルビッシュ試運転も坊主頭がいっそうスレンダーに見えて、頼もしかったし、マーくんもポカなしでようやるし、あとから投げるほどだんだんきつうなる展開の零封やったなあ。

初めてのタイブレーク、やっぱりなんか違和感あるなあ。在りもしないランナーを二人置いて始めるピッチャーはエエ迷惑。紅白戦ならエエ練習やろけど公式戦では、なんかアホくさ。

これならいっそ延長は12回までにして、決着つかなかった場合のみ、数値の多寡で勝敗を決めた方がよっぽどあきらめもつく。ヒット数、三振数、四死球数等、いろんな数値を加点減点したトータルで決着するという方がまだしも実質的や。

そのいただけない方式の餌食は岩瀬、キツネにつままれたような呆然愕然慄然やったなあ。代打阿部がガツーンと逆転3ランホーマーでもかっ飛ばせば、雲散霧消やったかもしれんけど、負ければますます倍加する燃焼不良のやりきれなさや。

あんまり野球好きでない連中、野球をオリンピックの競技から外した同じ連中が決めたルールやろなあ。だいたい長過ぎるというような理由にもならない理由がその底にあるみたいやから、これも心の通わない役人根性ちゅうようなもんやろかなあ。

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2008年08月19日

世界的アスリートで超一級美人!ため息あるのみやなあ。



アスリートで美人、しかもなまなかなアスリートではない、世界記録を24回(?)も書き換えたという美人はこの人、エレーナ・イシンバエワ。かっこいい!を、はるかに超える尊敬に値する美人。

世界記録連覇金メダルも凄いが、自国ロシアのセレブファッション誌の表紙も飾るモデルで、競技の時こそひっつめ状態だが、肩まで波打つ髪、背中の大きく空いたドレス、スレンダーで隙の無い容姿が、まさしく衣装にも映えて、映画女優にしたいほどの瞳の輝き。

ここまでトップクラスでなくともアスリートで美人、オリンピック参加だけで天に選ばれしもの、という気がするのに、このエレーナ、競技前に失恋の傷心状態だったという。アホは誰や!と口走りたくもなる、見事な跳躍ぶり。5メートルを超えるのが人類の悲願とされて、男子ブブカは6メートルも超えたが、女子の5メートル越えは彼女だけ。

こうなると超一級の美人の上にまたまた次々と尾ひれもつくだろうが、その競技寸前の、寝ころんで脚をあげたり、布団をかぶり沈思黙考、集中を高める姿を望めば、いのちの輝きに至る軌跡すら、すべてが美しく眼に映じる。

頂点をあたりまえにしてしまったアスリートはオリンピックの華なのではあるが、その大会が終わり引退してしまうと、外国のその華々は忽然と消息を絶ち、行方も定かではない。

街中で見かけ振り返ってその後ろ姿を望む美人にも似て、オリンピックの華々は今いずこ、というわけだが、すれ違い美人と違うのは厳然と映像として記録され再会もできることだ。
このくらいの美人は3年おきくらいに、その動向を報道してほしいけれどね。

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2008年08月18日

見せる化粧はこんな祭典が一番!



同じ化粧でもいっそ爽快なのがこのボディーペインティング。
化粧であるからには人に見られて見苦しくない、あるいはより美しくというのが、化粧本来のマナーのひとつとしてもその歴史はあるだろう。

ボディーペインティングはそれを全身に及ばせたというより、むしろボディぺインターの描写力と、ボディの持ち主とが合体で絵筆の対象をカンバスから人間の肉体に移した、美術の営為といった方がいいのだろうか。
化粧が上手いのは絵心にもよるということをそれは示していて、男のボディより、なるほど曲線の多い女性のボディの方が、背景として色彩のノリも滑らかだし、より豊かな量感も示して見栄えもする。

オープンにするならこれくらい堂々たる美術の祭典での化粧の誇示なら、仮装舞踏会と同様、反対する向きも理由を探せまい。描くひと描かれるひと好きずきだから、である。

もともと化粧は人知れずして、その完成品をひとさまが見るものなのであれば、ボディーペインティングはその経過さえ見せているようだから、ペインティングのデモンストレーションとも言えそうである。

これで思い出されるのはよく見かける電車内の化粧である。人知れずする化粧ではなく人前でするのだから、相当な覚悟も必要と思えるがどうもそうでもないらしいのが、その経過を見るものに見苦しく映じていることさえ本人には自覚が無いらしいことである。

キツネやタヌキがほんとうに化けるか否かは存ぜぬが、いずれにせよキツネやタヌキですら化ける姿を人前で見せぬ心得があるのは確かなようで、一心不乱に化け猫まがいに化粧をする、その事前事後で美が現出するのを観た試しがないのは、観察者100人が100人ともの偽らぬ感慨ではあろう。

楽屋裏を見せて恥しくないということは、人を人とも思わず、人を喰った話だから、おそらく化粧の目的の対象者の前ではさらに、鬼面人を食うがごときに人を喰うのではあろう。対象はたいがい男であるだろうから、その時鬼面と見えないのが化粧の甲斐というものでもあろう。
それがバレていることも気づかず(気づいていても!)あれこれのごまかし作業、見せる方も見てしまう方もご用心ご用心!ではある。

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2008年08月17日

毎試合が正念場、好投手目白押しや!



シーズン中でも見られないほど大きな当たり、新井2ラン!お見事!値千金のホームランだったのに、勝てなかったなあ。
留守部隊が2勝7敗というていたらくに喝!でもあったけれど、4番の重責で必死や、そんな余裕もない真剣勝負や、いっぱいイッパイの猛打賞や。

それにしても各国、好投手がそろとるねえ。韓国の先発は二十歳やそうやけど、終始冷静、付け入る隙もなかったなあ。
欲を言えば、好投和田がファーボールを出したところで交代、或いは9回無死2,3塁であと1本が出んようではなあ。負けても仕方が無かった試合だろうなあ。

勝ち進んでいくのは大抵やない。これで勝ち込み方はキューバにも韓国にも後塵を拝することとなった。あとはカナダ、米国、中国に全部勝つ、1敗くらいは許されると思うとると2敗してしまうような闘いや。予想以上にきつい闘いを余儀なくされてきたというところだろうなあ。

乾坤一擲のヒーローが現れんとなあ。さあどう踏ん張る!あと1試合ごとが正念場、底力を試される具合となった流れや。もはやメダルどころではない、1次リーグでの勝ち組参加や。
選手は神経もすり減る闘いやろうけど、沈んでいる暇もない建て直しで再チェック、練習にもいそしむのだろうなあ。

なにしろ好投手がここ一番の最高を見せるピッチングをすれば、打線は水もの、ゼロ行進もやむなしが野球というもの。ウ〜ン、またまた齧りついて観戦するしかないヒヤヒヤすれすれの闘いや。
あんじょう行こかあ、というしかないなあ。

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2008年08月16日

ラストチャンスの野球のメダルはなに色?



五輪野球、金メダルのいちばん難しい競技ですねえ。
圧倒的な格差を持たない競技ですからねえ。一次リーグをたとえ抜け出ても、一度も負けられないという部分はさらにきつい。

6-1台湾、6-0オランダと快勝しましたが、台湾とは終盤までまことに接戦、オランダとは初回に4点したおかげで比較的不安はなかったですが、追加点が終盤まで入らず、やや、やきもきではありました。
でも、湧井、杉内の先発が良く抑え、継投も完璧でしたからね。

完敗のキューバ戦は珍しくダルビッシュが四苦八苦、一度も勝ち越しなしの完敗でした。ダルビッシュはこのあと丸刈りという姿になりましたが、次の登板が楽しみということになります。
つまり、かなりな部分ピッチャー次第というところが野球にはあります。それにキューバは日本に完勝した後、米国にも勝ち、すでに全勝街道まっしぐらです。

星野ジャパンのメンバーが強力であっても、ピッチャーの調子の波ばかりは制御しきれず、さらには金メダルを取るためには世界野球のときのような<時の運>というものが必要です。
もちろん欠かさず見るのは応援しているからですが、その<時の運>の動きを観るわけでもあります。今回限りでとりあえずは終わる、ラストチャンスの野球の金メダルですが、こればかりは予断は許されないところです。
メダル予測の最も難しい競技こそ、野球ではないでしょうか。

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2008年08月14日

報道はオリンピック憲章に少しは則ってほしいなあ。



金メダル連覇三人衆。北島−内柴、そして谷本。
3人に共通するものがあるという。
それはアテネ五輪金メダル後、いずれもどん底体験から復活!ということ。北島「ほかのスターを探して!」内柴は愛児から「チャンピオンなのになぜ勝てないの?」そして谷本、妹さんから「そんなのお姉ちゃんじゃない!道場から出て行って!」

その妹さんが育実、本人が歩実、歩の一字でなく実があるのがいい名前ですね。まさか妹が姉を育てることを想定しての育実ではなかっただろうに、このことばが姉を鞭打ち、再生を促したようですね。
この二つの名前にあやかる赤ちゃんもいることでしょう。

<指導>にこだわる優勢勝ち、なんて柔道?というのは、柔道の出生国の誰しもが思う疑問。それを1本勝ちで跳ね退けて行った軌跡。
あまりに政治がだらしないと国民も自国の力量をそんなものと諦めてしまいがちな時に、この金メダル連覇三人衆の、頼もしい日本人の覚醒。
嬉しいね。

まだまだ唸るべき隠されたエピソードもあるのだろうけれど、頂点を極めることの難事の蔭には大小さまざまな秘話は必ず目白押し。
しかし、しかしや、柔道も日本人選手中心はやむを得なくも、もう少し紅毛碧眼のメダルエピソードも欲しいなあ。それでこそ世界はひとつの五輪マークやないの。美人柔道家をピックアップしたってエエねんで。諸外国の人情を伝えてこそジャーナリズムの本領、オリンピックに貢献の金メダルと思うがなあ。

あまりに繰り返しおんなじ報道では余裕も無さ過ぎ、戦時とおんなじやいうこと気づいてほしい、と思う。日本人選手の漏れた報道なんかもゆっくりあとで出来るわけやし。すべて終了して、金メダル三人衆も暴風が過ぎ去ったあとのような、枯葉散る夕暮ればかしではなあ。

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2008年08月13日

人は何時いかなる世代も信条信念にすがる!



むかしのことには興味が無い!若者が増えているというが、これは今に始まったことではない若者の特性のひとつではあるだろう。
けれども、アメリカと戦争をしたことすら知らない、となるとオイオイ大丈夫かいと危惧を持たざるを得ないのも一面ではある。

考えてみれば現在の若者の知るアメリカはルーカス、スピルバーグ以降のアメリカ、或いはカラーテレビが各家庭に完全に普及しきったあとの世代と言えるわけで、いささかチャイルディッシュな様相を示したところでいたし方も無いのかもしれない。
キャプラも街頭モノクロテレビの人だかりも知らないということは、飢餓や渇望や貧困を知らないと同義と言ってすらいいことだろう。

いやいや、渇望くらいはいつの時代にもあって、思い通りになどならないのが世界というものだから、あの終戦時に敗戦を無念、受け入れがたき事態と、東条英機が感じていたとして少しも不思議ではない。
これは無差別殺傷に至る若者だって、そこに至るまでに追い込まれたと思い、自らの願望の断念を感じるわけだから、人は何らかの渇望の生き物なのである。

原爆を2発落とされてその犠牲が身に応えないことはなくても、なおそれまでつちかってきた信条信念を丸ごと否定し去る事態に、東条英機ですらとても耐えざりし、ということではないかと、なお戦争継続の意思を持っていたというニュースを知ってもさほど驚きはしないのである。
丸ごとその存在を否定し去る事態に人がその先を生きる望みをつなぐのは、これまで通りの信条信念にすがるしかないからである。

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2008年08月12日

やり直しのきかないその日その時、あの訓練!



オリンピックも花盛り、その花中の華、金メダルが輝いて、日本中が大盛り上がりとなるのが恒例。今回は時差がそれほどないので、比較的中継を見る機会も増えるが、あまり自国に偏重しすぎた報道もどうかと思うが、金メダルではその秘められたドラマにいやでも目が注がれる。

なにせオリンピックに出るだけでも大変なこと、そこで連覇するなどというのはもう奇跡という言葉すら超える出来事ではないかと感じる。
女子マラソンの野口選手が急遽帰国というように、健康、そして精神的なモチベーション、やり直しのきかないその日その時である。
一時期はオレ以外のスターをと、やや退嬰的にもなりながら持ちこたえた北島選手、天晴れだね。

あまりメダルの多寡ばかりに興味を集中させるのは報道の弊害だと思うが、それぞれの本人には言い尽くせぬドラマを心中に秘めて、あきらかに無粋な質問と波長が合わぬ瞬間すら訪れる。
やわらチャンなど5大会連続メダルという偉業、単純計算で20年、とても常人の神経で達成できるレベルではない。

かと思えばほぼ無名の選手が台頭してくるのもイイね。今のところ知らぬは筆者ばかりかもだが、射撃の中山選手、或いはバドミントンの末前コンビ、それぞれまた筆舌に尽くせぬドラマを抱えていよう。
時よとまれ!君は美しい、とはいうが、あの日あの時あの場所であの訓練があってこそなのだ。その人知れぬ孤独の時間をこそいとおしみたい。

オリンピックは、実に輝かしき青春に似る。
それが二度と繰り返せぬ行為もそうだが、やがて時が過ぎて振り返ればなおのことその現実感は遠く飛びすさり、区切られたその日その時の、いわば結晶のような時間がくっきりと浮かび上がる。
肉体が可能な限り繰り返し出場を目指すのも、実人生にさえ不能なその完全なる昂揚のせいではあるまいか。

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2008年08月11日

個人はウンザリでも集団は威信をかけるんだよね。



またぞろ戦争を始めたロシア、どちらかといえば強大な方はあまり同情できないので、痛めつけられそうな方を心情的には味方したいが、もともとは呉越同舟とはいえソ連邦の一員同士。

「スポーツ選手や一般の人びとの間に憎しみはないはず。解決は政治家に任せてある」とは銅メダル・グルジアのサルクワゼ選手のコメントだが、銀メダル・ロシアのナタリア・パデリナ選手はロシア軍兵士という。競技もエアピストルというが、個人としては何の憎しみもないだろう。以前よりの知り合い、抱擁しあって当然でもある。

問題は、殺された周辺にもたらされた憎しみで、任せていると、たいがい国家は沽券にかかわってくれば来るほどエスカレートしていくものだから、その始末に困り果てることとなるのはヴェトナム戦争が好例。
国家の威信をかけるのがまだしもスポーツなら血も流さずにすむが、怒り心頭がだんだん冷や汗に代わるのが戦争というものの実質。

それでも地球上に戦争の無い時代が訪れないのは、人類の宿痾。
権利というのは互いの領域をむしばみあうところに生まれる権力闘争。
見苦しいのはいつも変わらぬのに、それを超えて権力を誇示したがるのがこれも人類の変わらぬ宿痾。いやあ、困ったクンだねえ。

せっかくのオリンピックに水差す行為、行く先は悲しみしかないのに、それでも国は闘う。違う闘いをできる空間を持てる人こそ幸福というものである。
やっぱり集団より個人をまず第一義に考える空間にいたいものである。

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posted by キャッツ・アイ at 11:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 戦争・災害

2008年08月10日

あれこれの不安をよそに開会式はお見事でした!



あれこれの不安もありながら北京五輪が壮麗に開幕。
開会式の演出がチャン・イーモウということで大いに期待したがその期待は予想以上、その中国4000年の歴史を垣間見せるに充分な、得意の人海戦術の成果も絢爛たるもの、国威発揚に存分のスペクタクルであった。

チャン・イーモウとしても、「HERO」(2002)或いは「王妃の紋章」(2006)での群衆演出でもはや手慣れたものではあったろうが、おそらく予算の心配もなくそのイマジネーションをとことん飛翔させたビッグイベントで、或る意味映画監督冥利の作品ではあったろう。
巻物の扱いなど、やはり東洋におけるイベントであることを躍如として示した見事な映像詩だった。

また録画で見直すに値する聖火点灯までの流れだったが、長過ぎるというご意見もあるようだが、競技とは別にここは退屈な通り一遍の儀式とは違い、余裕を持って楽しみたいものではある。
色彩も見事なら、その動的惑溺、いかにも共産国家ならではの一糸乱れぬ統制、もはや政治さえ超える芸術の祭典というべき1ページであったと思う。

競技は競技でそれぞれ異なる競技の見方もあって楽しいものだが、筆者は開会式の演出と閉幕の一種もの淋しくなる哀愁も帯びた時間も好きで、さまざまな想いもその二つの儀式にサンドイッチされることで、区切られたそこにしかない時間空間が、鮮やかに際立つからこそ、オリンピックがこれだけ永く続いているのだと思える。
人類も捨てたものではない、ということが信じられる、数少ないイベントではあるのである。

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posted by キャッツ・アイ at 12:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ

2008年08月07日

神々もまた人間の造ったクローン?



人間にとってクローンは常に倫理の問題が絡んでくるが、この倫理も人間主体の倫理ということで、他の動物たちにはその倫理は及ばぬものなのだろうか。

亡くなったペットがそのままの姿で還ってくるとなれば、飼い主は歓び、業者もまたなまなかでない身入りが見込めるということで、誰も悲しむものはいない。

しかし、倫理には宗教がからみ、たとえペットの問題にしろ、はたして宗教関係者がどう感じるかは、限りなく?!?の方向だろう。
黙認ということであれば、かえって宗教そのものの意味すら問い直されるような、根源的なことと思うが、どうだろう。

だが問題は筆者も含めて、人間のクローンだと、かなりな抵抗感を持つのに、こと動物たちのクローンとなると、大幅にその抵抗感が緩むという、人間の意識の方だろう。

人間の倫理は人間同士にしか及ばない、ということをそれは示していて、人間の意識の限界をそれは示しているように見える。
いずれ商売としてのクローンが隆盛となり、クローンに対する意識がさらに日常的にも変容してきたとき、それが人間にまで及んで果たして現在の抵抗感が維持できているかというのは、はなはだ疑問なのである。

時代の変容はまぎれもなく、人間の変容をもたらし、人間の変質に及んでいる。昔は良かった、というのはなにも老人の繰り言とばかりはいえぬ、ある種人間のア・プリオリなところに根ざす悲鳴かもしれない。

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posted by キャッツ・アイ at 10:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

2008年08月06日

堂々巡りのいたちごっこ、失言は不毛の地に咲く徒花(アダバナ)?



内閣改造早々の舌禍ということでニュースは大きいが、中身はべらんめえ口調の麻生氏らしい内容で、民主党をナチスになぞらえたという文脈よりも、安易な政権交代はというようなところにあり、民主党をたとえる前に、自民党の政権崩落を恐れた言葉のように聞こえる。

ポスト福田の第一候補だから当然このままでは政権が民主党に行く流れがあり、それでは火中の栗を拾った自身の未来も面白くないというところにその趣旨があろうとは思える。
その直接のターゲットである民主党もそのあたりを知りながらもここは怒っておかないと、というくらいのことだが、さすが吉田元総理の血筋の発言ではあるという一面も大いにクロースアップされるだろう。

いまだ最も永い政権を維持した吉田元総理も失言暴言の花盛りの首相で、バカヤロー解散という言葉も残るくらいだけれども、外野から言えば、もともと茶番じみた政治が少しは余興でこのくらいの発言が飛び出るくらいの振り幅があった方が楽しめる、と言えなくはない。

もともと自民党の派閥争いの枝別れのような民主党でもあり、自民党同士の痴話げんかをあまり超えないところで政争が行われているだけという気がするから、関心はさほど沸騰しないのではある。
せめてこんな刺激のあることばが出ることで、なんやなんやと、人だかりができ野次馬も増える、政治にとってはエエことやないかというくらいのところだろう。

もともと余興を踏み外した余興、使い込みもあれば、無駄遣いのオンパレード、埋蔵金までこしらえて、なお増税すればことがすむというような本末転倒の余興を永く続けていれば、政権交代ナチス勃興予見と見まがう失言など、可愛い余興の内、なのである。

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posted by キャッツ・アイ at 08:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 政治

2008年08月05日

宗教の強権発動?!?わからんニャン!



宗教警察の正式名称:勧善懲悪委員会だけでも驚くが、なにより犬・猫の散歩で「女性を誘惑し、家族の心を乱す」とはなんとも驚きであるなあ。その詳細は語られないので、誘惑も家族の心がどう乱れるか、いまひとつ飲み込めないのではあるが。

先頃、ミッキー・カーチス氏が高齢の再婚を果たし、そのきっかけが確か犬の散歩中のナンパだったというようなことを話されているのを偶然TVで見かけましたが、さだめしこういうことはサウジではいけない、許されないということなんでしょうなあ。
ナンパも恋愛の自由も無い上、勧善懲悪委員会が民間の男女関係に口を差し挟むようなことだから、国そのものが頑固オヤジと化しているわけなのかなあ。

想像もできないていたらくで、ミッキー氏のコメントも聞きたい気もするが、いずれにせよ日本で良かったなあ、というところではある。
一番知りたい、ペット用イヌ・ネコの販売および公の場での散歩がどう誘惑に結び付くのか、むしろそのノウハウだが、女性だって取捨選択の自由の中であれこれ誘惑も無ければ、人生も有意義にはならんと思うがなあ。

宗教警察官がいかに目を光らせても、本能を否定してことを丸く収めるのは無理だろうから、この取り締まりにも夜討ち抜け駆けのようなノウハウは、禁酒法時代のシカゴのように、本能は跋扈するんじゃなかろうか。
それにしても勧善懲悪委員会の勧善懲悪を決める市民運動というのは必要なんじゃないだろうかなあ。いやはや取り締まるに事欠いて、犬・猫の散歩もできない国とは、ビックリしたなモウ。

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posted by キャッツ・アイ at 03:45 | Comment(0) | TrackBack(1) | 宗教

2008年08月02日

人はみな、国もみな、清廉潔白だけでは成り立たず!



政治が絡むとたいがいうっとおしくなるけれども、ひとたびそれが歴史がらみとなると、様相は一変する。鯨問題では何かとかまびすしい日本との軋轢だが、流刑地オーストラリア、真のオーストラリア人とは先祖に流刑者を持つものとは、なかなかディケンズじみていいね。ディケンズ自体がその歴史を踏まえて物語を造成していったということでもあるけれども。

しかも首相の先祖が路上生活児で窃盗もやり、それが人気凋落でなく人気上昇の素因ともなっていると聞けば、ほほゥ!エエ話!かも、と耳をそばだてたくなるのは、天の邪鬼のアンテナにフィットするから?
というのもとかく功成り名遂げてしまうと、出来合いのサクセスストーリーじみた綺麗ごとに終始する伝記などを仕上げ、額縁に収まりたがるご仁が後を絶たないからだが、正直家系にも暗部があるのが永い歴史というものであろう。

都合のいいことだけを喧伝するのが政治なら、それを取り込むのも政治だから、これも政治のシワザと思えなくもないが、ディケンズを彷彿とさせるお話となれば、厳しい目線も和らぐというものである。
オリバー・ツイストの血筋に、そうは薄情にも出来ぬだろう、というわけである。

現在オーストラリアでは、国の発展における彼らの役割が、反抗的誇りをもって見直されている、
――という土台と時の流れがあるわけで、人に歴史ありと同じように国に歴史あり、なのではある。
国といえば永遠のように思いがちだが、なにもイスラエルを持ちだすまでも無く、イタリアだって厳格には現在のイタリアとなって60年ほどを超えたばかりなので、ローマ帝国と1直線でそこに在るというわけではない。
人はみなオリーバー・ツイストであり、或いはジンギス・ハーンかも知れぬのである。
それが国ならばなおのこと。

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posted by キャッツ・アイ at 12:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 政治

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