2008年09月30日

積年の垢を出し切らんと、膿が膿みを呼ぶ段階?



スポーツの世界とは思えんような、いわばイタチの最後っ屁みたい。
相撲協会もこの際、あれこれの膿みは全部さらけ出す覚悟を持った方がエエかも知れない。若の鵬も相応の覚悟やろし、政治の世界みたいな密室性がいよいよ内部から耐えられんようになってきた趣。

日本人ばかりで構成しているあいだは通用する<常識>も、もはやこれだけの外国人の力も借りる角界となれば、これまで通りの一枚岩の<常識>とならぬのは、充分予想していても良かっただろうし、背に腹は代えられぬ方式で、こんな事態も糊塗できると考えているとさらに事態は深刻化するのではないだろうか。

まさに臭いものには蓋で、権力というものはその力量を見せつけんがために強引な施策を講じたりするものではあるが、もうこれだけ次々と日常茶飯事的に不祥事が明るみに出てくるようだと、その患部が何処からもたらされるものであるかを、しっかりクリーンにする大手術をした方が<常識>の健全化の道である。

国技や伝統というものも、錦の御旗で空洞化が顕著になってくれば、或る意味開けてこなかった窓も全開して、新鮮な空気を入れることに戸惑っていては燻ぶる火種がどんどん広がって烽火となっていくような気もしないではない。

ことはスポーツ、少年少女が心のよりどころにもする世界である。ここにも妙な大人の<常識>が徘徊して氷山の一角だけを切り取り除去する対策だけだと、日本の中だけのコップの中の嵐が、世界に失笑を買い、前近代的な組織をあまねく露呈することにもなりかねまい。
もう既にかなりな部分、不健全組織のレッテルは露呈しきっているのだからねえ。さあどうする、相撲協会やねえ。だんまりだけでは二の矢三の矢も飛び火するのかも。

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2008年09月28日

そこにはいつも、男の原像が、薫った。



なによりもご冥福をお祈りしたい。なによりもありがとうと言いたい。そして、なによりも粋で格好良かった生涯現役だった。
「ハスラー」「ハッド」「暴力脱獄」「明日に向って撃て!」「スティング」そのほとんどの出演作が輸入された稀有な大スター⇒ポール・ニューマン

エディからハッド、そしてクールハンド・ルーク、ブッチ・キャシディ、ほとんど挫折に終わることの多い青春の行為を、その存在自体で逆流して魅せた青春の奔流。そのあえかな格好良さ。

かくも永き栄光の軌跡。男ならこんな男の形象を経て、人生を歩いて行きたいと、そう思う、時代にもしっかりと屹立した、爽やかで、微笑ましく、しかも決然たる意志にも充ち、青春の噴出する奔流から、その肉体を賭した感性は、いまもまざまざと時代の息吹として残る。

映画の登場人物でありながら、その造形はいつも男のア・プリオリな形象となった。男はこんな風な想い、こんな風な反逆、こんな風な格好良さにもあこがれて、夢の波間に生きるものよと、ポール・ニューマンはいつも具象化して魅せてくれたものだった。

いわば男の原像、世俗の垢も生活の泥も削ぎ落とした男の孤独が、そこには薫った。遂にやっぱり一人で闘うしかない、その究極の人生の選択を、どう果たしていくかという、それは模範演技といっても良かった。それはいつも、どこかで勝敗を度外視した、男の美学による選択でもあった。

スターがスターとしてなお後世に残る必然の要件は、或る意味でそこに演技さえ超えた自身のキャラクターの相似性があること、ではないかと、ポール・ニューマンを記憶するものは想うだろう。
ありがとう。合掌。

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2008年09月26日

文化などどこ吹く風の政治やからなあ。確かに儲からんかもやけどなあ。



映画を見るなら映画館で! 一理はあるんやけどなあ。
時代は自宅に映画館を! ということにもなってきとるからなあ。
それぞれプラスマイナスあると思うけど、基本は確かに映画館の大画面や。
しっかり集中できる環境やったら映画館に勝るものなし。そこまで自宅で用意できるんはセレブ中のセレブのみやろからなあ。

但し、愚作と知って時間と経費の無駄を感じたり、自宅の延長と同じ感覚で行儀の悪い観客も多いしなあ。注意したくてもそのくらいのことも自らワカラン連中に何をかいわんややし、映画館に行ってまでわずらわしい想いもしたくもない。

名画座も近所には無くなっているご時世やから、シネプレックスで観る新作の時だけが、その機会となる。それも欧州映画の輸入激減、ハリウッド偏重の日本だとおのずと減るしなあ。
日本映画のレベルはかつての水準を取り戻さんと限りなくハズレ続き。映画館をどうもって行きたいかに左右もされるわ。

ニュースはドイツでのお話だけど、ドイツ映画など、ホンに入って来んしなあ。最近観たのは「善き人のためのソナタ」「マーサの幸せレシピ」くらいやし、いずれも善き人のためのシネマやったから、確率は高い。ハリウッドよりしっかりおとなに向けて製作している感覚が感じられるし。

ドイツとハンガリー合作の「暗い日曜日」も唸ったねえ。この主演女優エリカ・マロジャーンなどこの一作しか日本で観ることができないのは無念過ぎて涙も出んわ。この美貌、この魅力や。他にも名作あるはずや、業者はん欧州ルートしっかりやでえ。

アメリカの属国と化してるから致し方もないかも知れんけど、文化国家の体を成して欲しいとは思うなあ。経済も大切でそこばかりに視線が行ってきた割には借金国家やし、文化などどこ吹く風の予算やし。映画館で観るべき映画が映画館で上映されんと、器ばかりではなあ。
古くても見逃している名品は切りなく在るし、これって自宅でしか観れない状況やし、その中でも日本映画の名品保存状況もお寒い限り、ほんとうのホンモノ文化国家に生まれたかったよ。

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2008年09月25日

ことばばかりの改革キャンペーンも終わりにして欲しいねえ!



誰が閣僚になろうと、すぐ解散となるとりあえずの内閣だから、元大臣のレッテルないしは勲章を履歴に加えるだけ、期待するもしないもないというわけではある。それに小泉−阿倍−福田−麻生と続いている総理、これすべて家督相続総理、島国村社会らしいねえ。

そのカタチばかりの内閣、いよいよ島国村社会の、性格というか本領というか、きわめつけ特有の姿ではある。
もともと地盤・看板・鞄を世襲して政界に入る議員が多いので当然の帰結としても、まあなんと世襲議員の入閣の多いことよ。

総理も二世だから、その帰着と言えばそうで、元総理の息子や孫が並ぶ内閣として、これは世界に冠たるその記録内閣ではなかろうか。
家代々の職業を継ぐこと自体は一般社会でも大いに行われていることであり、あながち責められることではないこととは思われるが、ことが国家となると、少々危惧を持たざるを得ないのは、この政界の空気感である。

家を継ぐだけならその家の問題で、せいぜいその家が属する業界くらいは影響があるだろうが、一般社会からすればコップの中の嵐、さしたる問題ではない場合が多いかとは思う。
それがさらなる拡大をしてことが国家規模で行われている(すべてがお家騒動?)のがわが国の政界構造だから、いつまでも透明感も澄明感(長命感?)も生まれず、常態化している密室感も亡くならず、さらなる政界逼塞感ばかりがいや増すだけ、と感ずるのは筆者ばかりであろうか。

なんだかねえ、これで何かを期待なんて無理難題というものだよ。その上、問題となっている最大はお役所だけど、そのお役所育ちの議員がこれまた大勢を占めているんだからねえ、ことばは改革が好きなようだけど、無理だろ、という結論がまあこれまた当然の帰結ということになるんだよねえ。
改革の一番必要なのはこの政界構造なのだから!

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2008年09月23日

政治も性事も心は同じ、甘き蜜の戯れ! やがて摺り寄る影なき恐怖!



ようやく終わったんかい。「総選挙を引き延ばす前夜祭」は。「誰が嘘を上手につけるでしょうの小手調べ総会」でもあったなあ。
本番選挙をより有利に展開するために開催された模様だが、さほどの効能も無いのはめでたいことだが、お坊ったまお嬢たまの、いずれ劣らぬ鉄面皮、ツラ厚き面々ではあったが、候補者の名誉のために申し添えると、その他大勢もご同様、心配なき多士済々。

いまさら政治空白も無いが、政治関連のニュースを観るたび、わが胸のここには、空洞が永く場所を占めるのはいかんともし難い。
政治に色を添えるのも大いに結構、このたびはつくづく女の性情に政治はフイットするものよなあ、との感を改めて深うしたのは小池百合子氏の「セクハラ」発言。政治も性事も心は同じかもね。

他の男性四人が自分の政策を踏襲、まるでセクハラというくだりだが、なあに結構まんざらでもない様子は、セクハラなんのその、セクハラ海の泳者としても溺れる心配のなきこと慶賀の至り。
次々飛び出す選挙前だけの甘き蜜の戯れ、民主党もボヤボヤしとると根こそぎその蜜のほどを踏襲されて、甘みも風化していくかの案配。

よくまあ選挙が近いとなるとこうも呉越同舟、背に腹は代えられぬのではあろうが、バーゲンセールに群がるオバタリアンご同様、わかり易い欲望のさまは、いささかの質実、わずかの誠意、ほんの矜持も、探すべくも無い。
一番ネックになりそうな後期高齢者問題、恬として恥じないその鉄面皮がその舌も乾かぬまま、大幅修正の余地在る風情、これだけお化粧も塗りたくれば、地顔が見えんのは当然の帰結。

所詮、陰など観たことも聴いたことも無いようなお育ちのお坊ったまお嬢たまの戯け大会。
話半分どころかゼーンブまやかしとしか感じぬ不感症、それでも政治が「影なき恐怖」であることだけは骨身に沁みて知る有権者、待たれいご託宣! かもね。

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2008年09月22日

虎も恐れる猛獣は、いつまで暴れていられる?



タイガースが危機に瀕しておると思ったら、本家本元の虎たちも、危機に瀕しているとは………。これもまた乱獲という人間のご都合が生んだ悲劇とはね。

いまではその生息地だって人間が規定しているのと同じようだから、純粋野生で生息しているとは言い難い筈だが、その上なんだって……アメリカの50州のうち9州は虎を所有する際に許可も認可も登録もいらないだと。完全にペット化しているのか、それとも別の目的があるのか、いずれにせよその野生がよみがえって街に出てきたりしたらどないするねん?

野生下のトラがおよそ4,000頭であるのに対して、中国と米国の飼育下のトラを足し合わせると10,000頭を超える。片や野生の虎は絶滅のおそれがあるという理由で国際的な保護動物になっているのに、人の飼育下で中国や米国で大きく数を増やしているのは、虎を媒介とする商業が成立しているからに他ならないという。

1973年に国際間の「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」=いわゆる<ワシントン条約>が定められているということですが、日本は、ワシントン条約で取引が制限されている野生生物をたくさん輸入しています。特に多いのが、バッグや財布など、爬虫類の皮を使った製品。生きている植物、鳥、爬虫類の輸入も多く、鳥、リクガメなどの輸入量は世界一といいます。

条約のルールにのっとっているとはいえ、密輸も後を絶たないとも言われます。珍しければ珍しいほど価値も出て商売の餌食にもさらされるのが、実は絶滅が恐れられている動物の運命とも言えるようです。

虎も恐れる猛獣こそ、人間という名の怪物かもしれません。
毛皮NO!の、先頃の杉本彩さんならずとも、動物愛護の精神無くては、人類そのものが遠からず、もうその予断も許さない自然からの逆襲を受けている現実ではないでしょうか。

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2008年09月21日

ソニー・ピクチャーズ=コロンビア、ここにも映画史!



売却先と、その利用の仕方が無いので、いささか中途半端なニュースだけれども、いまだに映画史上のベストテンを選べば必ず入賞、どころかベスト・スリーには入ってくるかという「市民ケーン」の、ワールド・プレミアの行われたところと聞けば、映画ファンはその由緒正しきを知るということだろう。

スターを輩出してきたハリウッドではあるし、いまもそれは変わらないのではあるけれども、その中身は微妙に変容してきていると言っていいから、この由緒正しき映画館が、この先も映画史を見守り続ける存在であるのか、それとも違う歴史を見守ることになるのか、映画史そのものも微妙な予断を許さぬところであろう。

ハリウッド映画史の中でしかし、最も日本に関連の深い、最もエポックメイキングな事件は、やはりコロンビアのSONYによる買収劇だろう。
コロンビアといえばアメリカの良心というべき映画を造り続けたフランク・キャプラの名作を世に送り続けた映画会社で、その他国への移管はアメリカの良心の転売とも、アメリカ人に受け取られたようでもあったのである。

そのソニー・ピクチャーズがいまなおアメリカ映画を製作配給している会社であることを、どれだけの日本人に知られているだろうか。単に、外国映画を配給している日本の会社、くらいの把握ではないだろうか。
公開中の「ハンコック」さえ、そのコロンビア・ブランドを生かしたSONY作品なのではある。

戦争に負けた日本がコロンビアという文化を獲ち取っている、これこそが時代の皮肉というべきかもしれない。時代はこののち、どう巡るかもしれないけれども、映画史もまた巡り来る走馬灯なのである。

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2008年09月20日

災害の源には、必ず政治があるんだよねえ。



「北極圏に国境を」なんて、利権に目ざとい政治家の考えることや。
やっぱりなあ。人類は成長せんというこれは例証かもね。北極圏など国境が無いんなら国連の管轄にして共同開発すればエエだけやないの、とシロウトは思うけど、クロウトはそれでは黙っ取らんのやろね。

まあ国連だってつばぜり合いで大した結論も見出せまいと、クロウト衆も見切っているのだろうけど、海千山千の寝ワザ師だらけの政治家のおもちゃにされて、また自然が阻害されとるという印象しかないけどなあ。成長しないどころかいつまでたっても同工異曲の、恐れ入ったるムジナ一族や。

国境を決めることが、次世代への責務と、思うのも勝手やけど、決められた次世代も余計な責務を背負わされて、エエ迷惑ということにもなるのは眼に見える事態でもあるから、これって親が子に押し付ける責務とよー似てることにも見える。政治家が勝手に思い込む裏には功利性だけが実は前面に在るから、いつもまた説得力にイマイチ欠けるんだよね。

所詮地金を出してのつばぜり合い、人類の未来にプラスになるとも見えない利権争い、次世代ならずとも辟易するし、その前に宇宙人もその経緯を観て呆れておるだろうなあ。
それよりもなによりもこんな汚染の源の人類を造りたもうた造物主は、わが手になる最大の愚作は人類とさらに天を仰いで慨嘆しておるのかなあ。それとも面白がっとるだけなのかなあ。
そこが一番問題かもや。

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2008年09月19日

羨ましがってばかりいるよりは、あれこれやることだらけのわが日本!



国立サーカス芸術学院⇒ この名称だけでもはやわが国にはその発想を期待する方が無理ということかもしれない。役人感覚のハコもの行政の無駄遣いはいまさら言うまでもないが、サーカスに限らず、わが国の文化事業への取り組みはお寒い限り、オリジナリティや独自視点など期待せぬから、予算の無駄遣いだけは自粛して後追いでもいいから文化事業支援だけでも視野に入れて欲しいものである。

しかし、こういう特殊芸術学院は年少からの訓練こそ肝要だろうからそれこそ民間に任せておくより国家的取り組みで相当な成果が期待できるのかもしれない。おとなになってみると羨ましいほどの体の柔らかさはもう後の祭り、道険しきプロの道への懸隔の深さを思うのみである。

だからといって子の指向性も顧みず、親が無理やり子を放り込んでみたところでそんな功利性を子はなにより嫌うから、おそらく断絶は取り返しのつかぬものになるだろうから、自らその嗜好を高めていく真の愛育がそこにどれだけあるかということでもあるだろうが。

暴力こそ振るわなくても、親の観念が子をスポイルすることはよくあることで、好き勝手放任と、がんじがらめ観念呪縛が、マイナス教育(反面教師)の、およその教育実態ではなかろうか。マナーどころの騒ぎでないおとなが横行する社会に放たれるよりは、こんな国家的取り組みの事業に参加して学ぶことの方が、どれだけよろしいことかとは思うのである。かつて全寮制華やかなりし、その意義は、そんなところにも在った筈なのである。

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2008年09月18日

美しきもの汝の名を、女と想いたいのが男なんだよねえ。



だいたい杉本彩の年齢ともなると、ヌードは手控えてくるのが普通だと思うが、手控える必要のないヌードであるのは間違いのないところだなあ。手控える必要のあるヌードは是非手控えて欲しいと思うのであるけれども。

しかし杉本彩はなかなか多彩であるなあ。この関心のさまざまな広がりを知るだけでも日本女性としては相当な高感度(好感度)ではあるなあ。
モデルとしても若き頃より日本人離れをしていたけれど、ことここに至っても、少しも衰えを見せぬのは喜ばしきことではある。

美人は言うまでもないところだし、その美人だけで一切が許されてしまうあまーいお国柄にもかかわらず、あれこれ果敢に新領域を拡げておられるのは慶賀の至りというべきだなあ。ともに同時代を生きているものとしても、その関心のありようには大いに勇気づけられるところのものである。

ネコ好きが動物愛護というのは一種当然の流れの決まりのようでもあるが、おしゃれのオーソリティが必ずしも毛皮反対であるとは限らず、かつて毛皮を着用したモデルとしての杉本彩の写真も拝見したこともあるから、「毛皮?裸でいいわ(Fur? I'd rather go naked)」というプラカードは余計意味を持つかもしれぬ。

先頃彼女のレシピで料理してみたらなかなかに旨かったし、なにごとも想いをじかに行動に変えるこの姿は、男女同権始まってからも正しく運用されていないそれをも批評するものではあるなあ。
男と同じことをしてどんどん醜くなる女と、杉本彩との格差は広がるばかり、以て瞑すべしという存在かもしれない。

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2008年09月17日

猫は人間になど、なりとうない動物である!



猫の手も借りたいほど忙しくも無いローカル駅、それも無人駅というほどだから、これは駅に棲みついたというところなんでしょうか。
1日駅長ということでもなく、状況は終身(ニャンくんだから就寝ということなんでしょうね)駅長のような様子。

なかなか帽子も、駅札らしきものも、お似合い。
けれどその表情を観ると、さすがニャンくん………我、関せず。

そのお気持ちを独りごとにすると……
「なんや重い帽子のせられて迷惑な話や。片目がつぶれて見えへんやないの。まあ悪気はなさそうやから許したるけど、ほどほどにせいや。騒がんでもあての魅力はあてがよう知っとる。はよ静かにして立ち去ってほしいんや。眠られんからなあ。安眠妨害や。そのための心地よい座布団やろ」

瞳が大きいから猫は写真映えするし、言うことをきかんワガママという風評被害にもじっと我慢の子であるくらい、猫は我慢強い動物なのである。よほど飢えに苦しんでいる野良猫でない限り、こうして猫は自らの絶大な魅力のみで生を紡いでいる。

猫にくらべれば美人コンテストで優勝した美人の方がよほどあれこれの苦労を強いられるだろう。その苦労を天性でまたぎ倒すのが猫の魅力の甚大なところであるだろう。好き勝手しても絵になる猫には「はい、ポーズ」というような指示は無用なのである。

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2008年09月16日

経済あって社会あり、経済あってリタイアもありや!



経済ありて社会あり。経済破綻した社会など、もはや社会の態を保てんちゅうこっちゃ。リーマン・ブラザース・ショックは円高ドル安をもたらし、1ドル100円を保てるか否かの瀬戸際かもね。

他人事みたいやけど他人事やないのは、これも経済の鉄則。いずれジワリと響きよるねん。不景気風を煽るかもね。政治空白しとる場合やないねんから、悠長な政府をいただいとる身の不始末にもなるねん。

外資証券が乗り込んできて久しいけれど、いまは亡き外資証券、ツブれたのも吸収されたのも撤退したのもひっくるめると、いま在る3,4倍は参入してきたんやなかろうか。消滅したのか社名変更か整理にも困るのは日本の銀行とエエ勝負や。

これってだんだんその出自さえ分からんようになるということで、眼を凝らしとかんと、ことは国際的、アメリカかドイツかイギリスかようワカらんということにもなる。

まあ半リタイアの身いやからさほど直接的なダメエジはないけれど、現役バリバリだと、いろいろ色目も使うことやろから、無傷ではいられんかもなあ。あれこれ世間の潮目も見て早めの半リタイアやったけど、正解やったなあ。

リタイアちゅうのはそちこちに色目を使わんですむ、ちゅうこっちゃから、これが精神衛生にはことのほかエエ、そのおかげで胃もたれや腸捻転も無い、健康にもことのほかエエちゅうこっちゃ。

想えば所得倍増とか踊らされる事象にはいつもこと欠かんけど、できる限り全部が流れて行くときは違う方向に行きたいのは昔から変わらんかったなあ。
二十歳過ぎたらこの世間からどうリタイアするかが人生のテーマやった。ひきこもりやないでえ、リタイアも闘い取るもんやからなあ。潮目を観るサーフィンや。反射神経のあるうちになあ。

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2008年09月14日

趣味=政治でないと務まらぬ、政界裏目読み!



政治は嫌いだけど、政界はさながら人間動物園。その態様を観ているだけでも好個の人間観察対象となるから、眼は切れないのではある。
さながら今回は猿山の猿大将を決める行事で、いずれがキツネ、タヌキなり、中にはスカンクも混じっているやもしれぬ、いやいや、イタチごっこなりか。

小泉愉快犯元宰相がまたぞろかましたようで、「何も云えねえ」の翌日には完黙という我慢は持たずその本性露呈、これを受けて小池元防衛相「チョー嬉しい」だと。
まあパフォーマンスだけがすべてとなって久しい政界用語、もはやつける薬も見当たらぬが、改革丸投げのほころびがあちこちに散乱していても、それには見事完黙。

しかしオリジナリティの無いこと、同工異曲。これで座がにぎわってしまうあいだに、それぞれの識見?などもはや霧の中、TV界と同じこれも同工異曲の仲間内の内輪ぼめ、所詮同じ穴のムジナ一族。助け合い運動ご苦労さん。変わらぬ日本村の風景ではあるなあ。

彼らがわが子なら詠うかもなあ。

♪ この世ひとりの君ならで あゝまた誰をたのむべき
  親の名を継ぐ君なれば 誰が政治に溺れしや
  政治に身を染めし君を泣く かたみに人の血を流し
  嘆きの中で雄々しく吠える あゝ君を泣く
  暖簾のかげに伏して泣く われを哀れと思されむ

政治とかけて、ナント解く。
上手につく嘘大会、と解く。その心は、心ここに在らざりし。

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2008年09月13日

聞けば聞くほどお粗末の全容、もう聞きとうない!



日ごとにその被害が拡大する事故米問題。
人災もここに極まれりという様相。もうこの頃のさまざまな事件を観ていると、モラルなんて領域を超えて、品性下劣な日本人がかくも膨大に存在する驚き。

事故米そのものを食用に供した小学校の給食などその被害の最大のものだろうが、芋焼酎となると、出てくる銘柄を散見しただけで、わがのど越しに挿入してしまったことは、これまた間違いが無い。
金のためなら何でもする輩がこうまで増えてくると、すべからく自給自足で賄うしかいけなくなってくる案配だ。

どだい包装自体も一見して事故米とわかる分別がなされてないのも驚きだが、聞けば改革丸投げの結果で起こるべくして起きたという様相のようだから、ことはまた政治にも帰着するようである。
改革といえば耳触りもいいが、その現実が改悪であってはなんのこっちゃである。

この大事件で、進退に関わりそうになっていた事務所費問題も雲散霧消気味でその利得が農水大臣だから、これも聞いてあきれる話ではある。
トップがケチな経費の横流しをする根性だから、業界も右へ倣え、と取れば取れなくもないお粗末である。

けじめも節操も無い、広がりを知れば知るほどなんというお粗末だろう。敵は本能寺に在り?獅子身中の虫? いやいや違うな、ただのゴキブリぞろぞろ事件か。こういう輩の一網打尽のために政治はあるのではなかろうか。何かといえば金が足りんという永田町人士、無駄遣いも埋蔵金も放ったらかして、金集めが第一義のようだから、心魂は同罪じゃなかろうか。

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2008年09月11日

特異な事例と見えても、それはいつも人間の共通する病弊。



北朝鮮の金正日総書記、脳卒中で倒れる、というニュースは世界的関心の大ニュースではあろうなあ。ただこの方の場合、関心のおおもとは<寒心>ということだろうから、健康を気づかうより、政権がこれで終わってくれればいい、という方の関心に集中しているのではなかろうか。

終わったところで、少しも予断は許されないし、明るい見通しはないのかもしれないが、良きにつけ悪しきにつけではなく、悪しきにつけ悪しきにつけ記憶に新たなこの方の政治的生命が尽きんことを、世界は待ち望んでいる!という、そういう世界的関心ではあるだろう。
これ以上悪くはならんだろうという<寒心>を携えながら。

しかし中身などどうでもよくて、権力の酩酊になじんだ権力者にとって、寒心されようが、恐れられようが、それこそが権力の証しとも言える心地よさでもあるわけで、恐怖政治を軸にした側近たちもイエスマンの集団演戯の花盛り、ではあるだろう。

醜いものはあまり見ないで生を紡ぎたい筆者などは、あまり視線もやりたくない対象ではあるが、嫌でも視界に入ってくることこそがまさしく権力の恐ろしさではある。
そうは言っても、ことはいささかスモールにはなるだろうけれど、これと同じような事象を日常的に実は多くの人が体験しているであろうことは、人間世界の必定かも知れぬのである。

ワンマン会社に籍を追いた経験のある方にとって、意外に日常茶飯事とも言えるこのご無理ごもっとものワンマン経営者経験、続出するナントカフーズ事件は、これを証明する事象ではなかろうか。
いやいや、さらに少々小ぶりでならあなたのいるその会社ですら、見られることではなかろうか。集団を形作れば必ずと言っていいくらい、リトル金正日はそちこちに!

この人間の死ななきゃ治らぬ病弊こそ、未来永劫変わらぬものよなあと思うと、いささか気も滅入るが、まあお互い脳卒中にならぬよう気をつけるが先かもね、ご同輩。

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2008年09月10日

美しさの秘密は、生き方の秘密、かもね。



つい先頃まで来日中と思ったシャーリーズ・セロン、ウイル・スミスとの掛け合いは漫才みたいだったが、今度はヴェネチア映画祭の<顔>とは、忙しいね。
映画祭の審査委員長も務めたこともあるナタリー・ポートマンも相変わらず清楚さを失わず、輝くばかり美しいね。

ふたりが、映画祭のとりわけ目立つ美しさの<顔>というのは、ごひいき筋の筆者としても嬉しいね。ふたりともなにより颯爽としているのは、トップスターとして当然にしても、その颯爽の中身が生き方の颯爽とした心がけ故に見えるのはファンの欲眼ばかりではあるまい。

長身でたださえ美貌が輝くシャーリーズや、受け答えにいつも溌剌たる応答で感嘆させられるナタリー、ふたりを観ていると、幸福の女神もまた吸い寄せられてしまうだろうなあ、と納得させられるのもいつものことである。天は二物も三物も束にして与えてしまう、黄金の頬笑み。

結果だけを観るとそのキャリアもとんとん拍子のようにも見え、そのスピードも屈折が無いように見える。
そのように見えてそうではないは、こんな場合以外にもいろいろあるだろうが、このふたりの場合はその良き例。

その裏側は改めて詳述もしないけれども、この美しきふたりを観ていると人類も捨てたものではないねえ、と改めて鞭打たれる元気も出てくるから不思議ではある。
もちろんこれは一種の異化作用と、自覚はしているのだが、まあ致し方も無いねえ。ファッションがブランドである前に、彼女らの中身が<顔>なのだから。

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2008年09月09日

国際映画祭の、賞に踊らされぬ映画ファンのフォーカス!



国際映画祭の受賞作品の評価が、どれだけ客観的なものであるか、そもそも客観的な評価というものなど存在するのか、映画祭の受賞が発表されるたびに思うようになった。

それは自国の映画が受賞というニュースを観て、その作品を遅ればせに見て観て、失望する機会が重なったせいだったと思う。
そのせいで映画祭そのものを否定的にとらえているわけではないし、評価通り、いやそれ以上の外国作品もあって、ハリウッド偏重に過ぎる輸入事情から言えば、得難い催しなのではある。

もともと映画祭という名称通り、映画祭はまずお祭りであり、それも国際的な映画見本市、言ってみれば興行をする事前の映画の国際的ファッションショーと考えた方がいいので、当たるも八卦当たらぬも八卦であるから、その評価だけに左右されることなく、映画興行者は鵜の目鷹の目には違いないのである。

その一面をさしおいて受賞結果だけが実は一人歩きする事情が、逆に国際映画祭へのフォーカスを歪めてしまっているのではないか、ということである。お祭りのイベントを盛り上げるための選考であり表彰であるわけで、ともすればメインの目的が外部には陰に隠れてしまう状況もきたしている、ということではないかと思われる。

残念ながらというべきか、幸いにというべきか、受賞を逃した日本映画だが、逆に虚心にその作品も観れるかなあ、と関係者には申し訳ないが、そんな感想も持つ近頃映画祭事情。
それに受賞しなくても自国映画は観る機会はあるだろうが、受賞しなくてはその外国映画を観る機会は限りなく失われるのである。

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posted by キャッツ・アイ at 10:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 芸能

2008年09月07日

メディアは決して正義のエースではないんよ!



これって相撲界が大揺れという以前に、一般社会にもどんどん諸外国人が移入してくる、その縮図にしか過ぎないんじゃなかろうか。
移入する諸外国人に対する対策もあまり見えてはこないけれども、それとまったく同じ事態が相撲界にも起こっている、しかも横綱ふたりも外国人ということだから、あれこれのルールも事前に本人たちに伝えられているのか、これまた見えてこず、心もとない。

それは外国人のせいというより受け入れ態勢もさほどの用意もせずに、目先の利益のために延々ここまで続けてきた、しかもその間には朝青龍問題もあった。にもかかわらずまた起こった、というこの問題なのである。それはシロだろうとクロだろうと関わりなく、ただ伝統に固執するだけでは立ちいかない、危機のメルクマールなのである。

そのあいだに外国人の力士の方が盤石で、国産力士はいっこうに覇者を産出しない構造が常道化してきている。伝統も無いもんだ、という事態なのである。朝青龍にしたって、少々暴れん坊ではあろうけれども、痩せても枯れても格闘技、やんちゃぶりが無くて務まる方が不自然ともいうものである。

なにしろいまや日本の世論も、情報操作でいかようにも変わるほどのメディアの逸脱で、その底には多い方が勝ちとか、極端には多い方が正しい、とでもいったファシズムが根深く流れて久しい。(その逆が正義であることなどいくらもある!)
この問題にしても、白黒はっきりせぬうちからの過大な報道、なによりもそれを、常軌を逸していると思うのは筆者だけでないことを祈るのみではある。

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posted by キャッツ・アイ at 11:29 | Comment(1) | TrackBack(0) | スポーツ

2008年09月06日

魑魅魍魎、奇々怪々は、政界の専売特許!



ペイリン副大統領候補の出馬でまたぞろスキャンダル探しに大わらわの米大統領選だが、そこそこオープンであるのがやっぱり国民性だろうか。まあスキャンダルなど少々のふくらし粉で、どんな人物であろうが生きている限りいくらでも造成できよう。

コンテストでミス・アラスカでもあったこのアラスカ州知事、まだ美人の面影も留めるが、若き頃の写真はもっと美人で、ヒラリー・クリントン氏ともその美人度甲乙つけ難いかも知れぬから、共和党としても巧い作戦に出たとは言えるだろう。

政治にとって美人度がどうこうなど、いささかも関係なきことと或いは柳眉を逆立てる向きもあるかも知れぬが、あまりシンパシイの感ぜぬ政治家たちの動向にいささかでも関心とならば、大衆にはいささかでも美人度は深き関わりを持ってくるのである。

しかし政治家に限らず、あれこれそのときどき、女性はその節目で男の足元にも寄れぬほど変わるねえ。その変貌ぶりはしかと観ていても同一人物?と感じるほど見事な変身ぶりで、政治家の本来持つべき資質の最大はカメレオンぶりとすれば、男よりずーっと女の方が適性に充ちているのじゃなかろうか。

その点まだまだわが国など、女流政治家はせいぜい人気取りのコマくらいの位置にしかないのが残念だが、爺さんの老獪に対抗できるのは唯一、女のしたたかさであるだろうから、その争いこそ、見応えあるところのものだろう。
それにしても「私にも写せますぅ。」なんてのたもうておられた扇千景を持ち出すまでもなく、コレ同一人物?という奇々怪々は、政界にこそふさわしい才能ではあるよなあ。

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posted by キャッツ・アイ at 12:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 政治

2008年09月04日

人だけが行う結婚・離婚、この不可思議なもの!



結婚も離婚も、プライヴェートを逸脱しないうちにさっさと終わらせるもの、というのがわが哲学で、下手に財産などあると、ものごとはややこしくばかり。財産などないうちに、結婚も離婚も終えたいもの。

裁判などと、これはもう赤の他人が入り込むことだから、互いの利益だけが優先事項、一切の想い出も雲散霧消、それだけでおぞましいね。
もうかけらも残っていない愛の残骸!だからこそする争いなのではあろうけれど、どっちがどうという以前に、美しくないね。

愛などというのは恋愛時の幻想、結婚や離婚は生活権の争闘、という具合にとらえれば、少しも不思議でない人間の営みではあろうし、それを承知か承知でないかは存ぜぬが、その同じ相手に蜜月の時間を過ごしてもそれはそれ、これが醜いという美意識もハナから持ち合わせも無いのだろうなあ。

美意識ではめしは喰えんということだろうけれども、生き方に美意識が無ければ転がるようにその邪悪な争闘が日常茶飯事にもなりかねないのが人間のなりわい、やっぱり桑原クワバラだね。

しかし人はなぜ結婚するのだろうね。あらゆる生物で結婚するのは人間のみ、法律、宗教、資産、係累、その他、縛られる対象を広げるだけ拡げて、財産があろうとなかろうと人は結婚する。コレ人類の最大の謎かもね。

こんな離婚騒ぎを演じるくらいなら、結婚などおぞけをふるう以外のなにものでもないと思うがね。
いやはや、人それぞれ、好きにして!

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posted by キャッツ・アイ at 10:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | ライフ

2008年09月03日

2度とは還らぬ充全にしてかけがえのない一瞬の夏!



敗れはしたとはいえ、18歳。
肉体のピークはそれぞれの個人差があるとはいえ、ハイティーンのそれは掛け値なしの無駄なき肉体のピーク。自意識さえ無駄にもなる肉体それ自体が自らをも超えて頂きにあるピーク。

おそらくさらに齢を重ねてこの時間を錦織選手が振り返るとき、奇跡にも似たその時間の純一性をまざまざと思い浮かべるだろう。技術はなおハイレベルに到達しているであろうとも、この2度とは帰らぬ純一な自らの肉体の感性を持って闘った、全米オープンのその時のこだまにも似た感触を。

相手のアルゼンチン、ファン・マルティン・デルポトロ選手もまた19歳。キャリアは既に1日の長があるのであろうけれども、2008年夏、全米オープン8強入りも含めて、ともに十代の峻烈な、疲れを知らぬ闘いの記憶を刻んだそのときの時を、これまた同様に2度とは還らぬ充全にしてかけがえのない一瞬の夏をいつか想い出すに違いない。

さらなるテクニシャンとして、さらなる強豪として、やがて互いに大成を果たす時が来ようとも、この夏、この日、この十代の肉体が刻した時のときは、やはりもはや同様な感触ではよみがえりはしないのである。

はるか永きを生き過ぎたそれを知る者にとってこそ、この十代同士の、たぐいまれな輝かしき価値を、脳裏に焼き付けてしまう肉体の鮮烈さなのではある。疲れているように見えながらもそれを跳ね返す肉体の俊敏の前では、技術はゆっくりとその後を追うくらいのことしかできないのである。

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posted by キャッツ・アイ at 18:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ

2008年09月02日

次々と呆れる事態のこの世界、末期症状ながら生命力だけは抜群!



鵺の国ニッポンの、相も変らぬ鵺首相が、鵺国会に愛想を尽かし、あとはどうなろきゃーなろたい、とやんぴこんぴ。まこと人間的なシワザではあるなあ。

なにしろ50%を超える二代目がひしめく鵺国会、一番よく見えるのはその二代目たちのプライドで、プライドの安定したポートが見つからぬとなれば、その生存権も脅かされ、とてもこの混濁の世を収めるなどもとより無理難題。

いっそバカヤロー解散でもしてくれた方が、世のため人のため国民のためと思うが、考えるのはやっぱり所属組織自民党の行く末のみ。俺にはこの混迷とてもプライドが許さずとても耐えられんけど、誰かやりたいのもおるやろ、というわけだ。

いやはやこれでまた同工異曲の、鵺ヌエごっこが続くんかいな、奇しくも後釜最有力はバカヤロー解散の孫、麻生氏ということだから、ほとんど崩壊の中身も塗り込めて、♪我は行く、さらば昴よ、か。

それ見たことかと、ほくそ笑む民主党にしたところで、どこから切り刻んでみても、自民党とは気脈血脈いかように違うのかとんとわからぬ、あの金丸のカバン持ちのイメエジから少しも脱却し得ない小澤氏、先頃の姫井騒動を観ても、その姫井自身を慰留というよりはその1票を慰留したとしか見えず、こんなへなちょこスッポコ議員など百害あって一利なしと切って捨てることさえ出来ぬ、見せかけプラス。

とかく政治は堂々めぐり、政党政治も視線の重点はそのまま政党維持堅持、選挙を気にするおべんちゃら政治、そう言えばその自民党の重鎮だった金丸氏の経営する会社は、丸金商事という品の無さ。横綱の品格より女の品格より、いま必要は政治の品格、時代の品格、かもなあ。

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posted by キャッツ・アイ at 10:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 政治

2008年09月01日

国際映画祭における国際評価と自国評価の落差。



「崖の上のポニョ」は未見だが、宮崎駿作品はほぼ全作を観てその国際的評価もさもありなんと感じる。おそらくアニメは劇映画よりずっと国際語としての役目を果たしているだろうから、その真意自体が評価されている気はする。

しかし昨今の国際映画祭における日本の劇映画の受賞にはいささか疑問で、あまりその評価通りの感銘を受けることは少ない。これはたぶんおおいに誤解曲解を含み、或いは選考委員によっても偏向をもたらす要因も多々あると感じて、必ずしも自国映画の受賞を文字通りには喜べぬ事態もあるのではないかとさえ睨んでいる。

もちろんその評価通りの作品も稀にはないではないのだが、そんなケースが増えていはしないだろうか。受賞外国映画は必ずしも観る機会が訪れるとは限らないし、自国映画だと受賞すればそれだけ凱旋興行も含めて観る機会も増え、見て観るわけだが、ウ〜ンちょっと、というケースが増えているのは確かなのである。

この事情、真相はいまひとつ掴み得る材料にも欠けるけれども、どういう事情でそんなケースが増えているのかどうも居心地の悪い状況ではある。わが感覚が単に衰えを示しているだけならそれはそれでごもっともだが、時々参加する現役の日本映画人たちの集まりでその感想を聞いても同様で、国際映画祭のための受賞作品に関して、やはりさほどの評価をしていないということなのである。

かつて自国評価を覆す受賞は確かに別の説得も生んだが、果たしてそれだけのインパクトを持つ受賞なのかただのときの勢いなのか、どうも合点の行きかねる近頃の趨勢ではある。

この落差はなんなのか、現地にまで行ってレポートする映画ジャーナリズムでなければそれを解明することは無理なので、是非とも受賞バンザイ!だけではないレポートが欲しいものである。
宮崎駿作品は除外して、劇映画の受賞経緯をむしろいわく因縁の観点、裏目読みでもいいからレポートして、その落差を解明してほしいこの頃なのではある。

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posted by キャッツ・アイ at 11:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 芸能

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