2008年11月30日

この国から<村社会>風土が消えぬ限り、すべて無理ムリ無理!



暫定内閣としてだけ容認されているに過ぎない自民党内閣が、延命を図るためだけに解散をしないのはどこからどう贔屓目に見ても明らか過ぎて、このところの失言騒ぎ、相変わらずその状況認識を糊塗しているだけの存在という自己把握も出来ていないことを露呈して、墓穴を掘っているのはもうお笑いの領域。

「何もしていない人の分まで、何で私が払うんだ」に至っては、もはやできそこないの上司に見当違いのお叱りを受ける部下の図、反論するのもあほくさいほどの内容で、麻生首相個人のキャラクターから出てきた言葉と自民党は認識したいようだけど、永く政権を担わせると自分の金も他人の金も区別がつかなくなる、これは例証にすぎまい。

総裁選のあと間をおかず解散しておけばまだしもいくばくかの可能性をもたらしたろうに、もはや続ければ続けるだけその芽を摘み取るだけ、するべきことをしないで罵詈雑言で人気が上向きになるわけもない。
高齢者の医療費増大などまともな政治家なら予測して施策を講じておくのが当たり前、これに限らずこれまで利権に狂奔し、いまさらながらに後手後手となっている問題は山積、それを他に転嫁するなど言語道断。

もはや解散といわず解体すべきが自民党。利権と政権が結びつくからこそ在る組織に過ぎなくなった自民党で、寄らば大樹の蔭だけの議員たちに何を期待せよと言うのか、自明のコンコンチキ。
これだけの無駄遣いを続けてもそれは他人の金、予算を担う間は自分の金という感覚では、とてもじゃないんだけどね。
永田村に多くを期待するのも見当違いとは承知してはいるけど……。

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2008年11月29日

ひとたび爆発すれば理も非も無い。すべては権力闘争!



どちらがどうという前に、政情不安な国、ことにそれが武装グループの暗躍や、政争の果てにその影響が出るとなると、近寄れば巻き添え、中には足止めを食らった方はそれどころではないだろうが、それにしても政情不安な国家のありようを対岸の火事的に観れば、つくづくわがヌエみたいな国家のありようの、ありがたみも少しはクロース・アップされるということか。

それぞれが旗幟鮮明というようにはちーとも見えぬわが政情にくらべて、およそ諸外国の政情は不安かどうかはいざ知らず、およそよって来たるところの元素くらいは見えるのに、最も近きわが国家の政情ばかりはいつも不透明、あっちへ行ったりこっちに来たり、これは二大政党に観えて実際は小党分立のようなありようにも似て、まあヌエの局地(極地?)というような案配。

であるからして、ありがたいことに、権力の横暴という憂き目にもあまり遭わぬ状況なのはありがたいことなのではあるが、ありがたいと思うのがそんなときくらいなのは、まあもともと多くを期待せずにいるからかもしれない。
紛争やむことが無き世界の諸情勢、いつも泥濘というような地もあって、くらぶるに平和なわが国家はありがたいことではあるのか。

その代わりかどうかは知らぬけれども、権力の横暴こそ観えはせぬようだけれども横暴と密接な腐敗はちまちまとしたそこここに噴流しているようで、政治など放っておいて勝手に機能しているくらいがちょうどいいとは言うけれど、もう永く放っておいても少しも安心ではない政情、表向きとウラ向きと使い分ける政治家の性情、これは少しも変わるところがない。

対岸の火事のように見える世界の噴出する終わりなき紛争も、実はもう我慢の限界という態で、いずれもが爆発しているわけで、爆発すれば後には引けぬとめどなきこととなる事態なのかもしれない。
腐敗もまた同じやり始めは少々の罪悪感もあれど、やり続ける間にもう習慣、当面バレなきゃいよいよ美味しいとさえ感じ、ほとんど日常化する、組織の蔭に隠れる美酒となり延々これも終わりなき事態となる。
なにやら対岸の火事と見える各地の紛争も、そう考えてしまうと、根っこは同じのようにも見えてくる。やがてそれは大きな洪水となり地球上から人類も滅し去るのかもしれない。

教訓:アダムとイブが摘まんではイケなかったのは、まさしく権力のつぼみ。

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2008年11月26日

芸術の都ウイーンのクリスマスに想いを馳せて……



ウイーンもその底にはどの都市にもあるさまざまな沈殿物もあるのではあろうけれど、やっぱり、芸術の都ウイーンである。
クリスマスはいかにも芸術に最もフィットする、というより、クリスマスと芸術の掛け算が他のいかなるクリスマス掛け算にも増して、最も豊かに相乗効果を発揮する。

そんな気がするのもウイーンの内包する芸術の幅の広さが優れて歴史的なものであり、ぽっと出の都市にはない重厚で絢爛としたものを内に秘めているからに違いないだろう。まさしく、デカダンスから雅の極致までを奏でてきたこの都市には、同じクリスマスと言っても、その本来持つ落ち着きとしっとり感がはたまた重厚さが、はなはだ違う気がする。

それもこれも人間の思い入れが違うことに発しているのかもしれないが、ヨーロッパを旅して思う中の総合的な印象は石の文化という観照なのだが、とりわけウイーンはその代表という重厚さがある。
同じ華やかさでもチャイルディッシュな華やかさとは異なる梃子でも動かぬ泰然とした雅がそこに秘められた美の伝統は、クリスマスそのものも大きな光背に彩られていることだろう。

わが家もクリスマス・モードに仕上げたこの季節だが、市販のグッズで仕上げると、この絢爛たる重厚の雅というものが出ない。趣味嗜好の領域ではあるけれども、存外なにごとも流行ファシズムに彩られ、選択肢が限られるわが国土のマーケットの傾向、これに捲き込まれずなにごとも自らの矜持で生きるのは至難なことよなあと、改めてウイーンのクリスマスに想いを馳せたものである。

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2008年11月24日

他人にわかる人生、わからぬ人生、その分水嶺。



出頭しなければますます動機が憶測を呼び、さらにあらぬ方向へ飛び火して行ったかもしれない。そういう意味では犯人らしき人物が動機らしきことを述べ立てたのは良かったのかもしれない。

まだその全貌はわからぬながら、心身耗弱という近頃得意の犯罪者でないことも良かった。自覚も意識もはっきりしてはいるようではある。
わからないのはこの男の人生である。他人の人生などまずはわからぬものではあるが、近頃の、本人にしかわからぬ動機を続けさま日常的に観ることとなると、わからぬ以上の、殺される側からすればさらに不条理ではある。

同じ犯罪者でも「無知の涙」の永山則夫のケースも理由なき連続殺人であったけれども、本人の人生が少しずつ明らかになるにつれ、或いは本人自身がむさぼるように獄中で読書をはじめて、その結果として支援者も現れ、その人生へのフォーカスも見えてくるわけだが、この男はわからない。学校時代は粗暴とも縁無き優しい人間であったらしく、この現在は別人の観があるという。つまりは社会に出てから男は変わった、ということだけが観えてくることであろうか。

社会に出れば意に添わぬことは目白押しに襲ってくるから、「頭に来る」こともさらには怒涛のよう、爆発もしたくなるのもしばしばではあり、誰しも想いとしてそれは在るだろう。無いとすればよほど恵まれた箱庭環境とさえ言えるであろうが、それが大きくも小さくも挫折というものではある。

他人にわからぬ人生とは、挫折する人生までは判っても、挫折に負けてしまっては誰も理解は放棄するということでもある。自らの存在をより過大に評価されようというのはこれも誰しもに共通する欲心ではあろうが、現実はそれぞれが海にただよう藻屑のようなもので、暴風も渦巻きも乱気流も、そこには捲き起る。
それに負けぬ結果だけが人生なのである。
動機も背景も定かにはなっていないが、定かになろうと、おそらくその生き方は、わからぬ人生ではあるだろう事件であり犯人ではある。

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posted by キャッツ・アイ at 14:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 戦争・災害

2008年11月21日

ほんとうのホンモノ・ドラキュラ監督のドラキュラ映画をご存知?



何故、吸血鬼は魅力があるのか――かくいう筆者も吸血鬼映画深夜5本立てに駆けつけたくらい、嫌いではないのである。
なにより魅力の第一はエロティシズムである。エロティシズムと言えば美女がつきもの、これを嫌いでこの世に生を請けた甲斐も無い、と言うくらいのもの。

何故、吸血鬼にエロティシズムは、切っても切れないのか。
隠微だからである。禁忌の匂いがするからである。恐怖の内にひそむサドマゾ願望を、ともに満足させてもらえちゃうからである。

但し、吸血鬼映画にもあれこれ愚作はあるからご注意は必要だし、この「トワイライト」がいかなるデキかは未知数、もううず高く吸血鬼映画も積み重ねられてきたその遺産から探し出す方がよほど手っ取り早い。
その中でも吸血鬼自身が撮った名作がいくつか在るのをご存知だろうか。

吸血鬼監督とは誰か。今回はその中から3人ほどピックアップしておこう。自身が吸血鬼だから、入魂というわけである。
やはり同じ吸血鬼でも名だたる美女を数こなした金メダル吸血鬼がロジェ・ヴァディム。ブリジット・バルドーを手始めにカトリーヌ・ドヌーヴ、ジェーン・フォンダを喰っちまい、このドラキュラヒロイン/アネット・ストロイベルグも当然の如く喰っちまったその映画は「血とバラ」('61)カラーが見ものだから色褪せていないことを祈るのみのもう半世紀も前になるか。

銀メダルと言っても甲乙つけがたき吸血鬼名匠は、ナチスにも追われたが、その吸血鬼ヒロインにして妻であるシャロン・テートが、殺人鬼に現実に殺されてしまうという悲劇にも見舞われたロマン・ポランスキー「吸血鬼」('67)。その事件によりこの作品も永く後光がさした、というほどのもの。
ポランスキーのさらに許せぬのは、わがナスターシャ・キンスキーがまだ十代のころ性の手ほどきをしながら演出したいわく因縁、しかも作品がどう見ても筆者が思うにポランスキー最高作と認めざるを得ない「テス」('79)というのまである。

そして最後が、もうその容貌からして如何にもそれなりに吸血鬼と思しきアンディ・ウォホール「処女の生血」('74)。処女の生き血でなければ胸を悪くし腹を痛め吐いてしまうという、恐れ入ったるドラキュラがコレ。処女なぞ思い込みばかりでさほど旨くないというのがおとなの嗜好だが、幼児退行的ドラキュラもまた一変種、観て損はないドラキュラではある。

変種というので思い出したが、コウモリでなく鳩が舞い、鏡に姿も映り、不死ではなく歳をとるドラキュラというところの名品「ハンガー」('84)はテクニシャン=トニー・スコットの隠れたる推奨作。
宇宙人のようなデヴィッド・ボウイと、絢爛を極めたドヌーヴ、いよいよその狂気じみたマナコが生きたスーザン・サランドンがそれぞれはまり役。
論より証拠、以上、かくまでドラキュラにまつわるエロティシズムは、垂涎の賜物なのではある。

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posted by キャッツ・アイ at 15:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 芸能

2008年11月20日

東京の地下鉄事情を知れば、未然に終わらせる事故直前情報をこそ欲しいね。



地下鉄工事の現場での事故はほぼ人災とも言えるし、その工事自体のみとは言えない原因も複合的にありそうだから、東京の地下鉄事情を知ると、他人事でない恐ろしさ。陥没しないでいるのが不思議なくらいいりくんだ格好だから、まこと桑原クワバラ。

不慮の事故になど誰しも逢いたくはなかろうが、不慮の事故が避けられぬものならせめて死に方を選択して、生き埋めだけは勘弁願いたいというのが筆者のホンネで、この事故のように平地から奈落へ落ち込むのも恐ろしいが、地下鉄乗車中の同様の惨事は、想像するだに救いがない。たとえば地下鉄六本木駅など天井も低く、ヒトの行き来の割には道幅も狭く、行くたび、駅周辺に滞留する時間の短縮に気を駆ける。

技術は相当なものだろうが、技術を過信して次々と二層どころか四層五層と重ねていけば、いつかは破たんが来て不思議ではなく、聞けばその動線同士の距離が1メートルくらいのところもあるやに聞く。
その透視映像でもあればいかなる事態か、その危険すれすれの状況を知れば乗車を控える人も出るのではないかとも思われる。それゆえにこそあまり触れたがらない領域かとも思われるが、そうも言っていられないだろう。

地下鉄事故こそ震災でも起きればさらなる悲惨を生む事故につながるは必至で、もはやスパイダー・シンドロームと化した、東京の地下鉄事情、メディアはしっかり現状をとらえ報告してもらいたいものだし、その防災事情もまた足らぬを指摘してもらいたいものである。
およそ事故が起きてしまうと、それ見たことかというニュースにはなるが、それ見たことにならないニュースこそ、メディアの役割ではなかろうか。事後報告だけなら小学生でも出来るのだ。事前報告の目利きの眼をこそ、期待したいものである。

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2008年11月19日

エコカーに慣れると、もはやガソリン車には戻る気が無くなるけどね。



政治はとことん遅れていても、エコカーは先進、嬉しいね。
かくいう筆者もエコカーに切り替えてもう3年を過ぎる。ガソリンスタンドに行くのは3,4ヶ月に1度行くか行かないか、すっかりご無沙汰の案配。

ガソリンが高騰騒ぎの折もどこ吹く風、ほとんど影響なし。なぜもっとエコカー普及にスピードがイマイチなのは不思議なくらい。燃費にエコ、環境にもエコ、心理負担にもエコであるから、実に言うことなしのエコカーではある。

乗車経験のない方に聞かれるのは高速でどうかとか、スタートに遅れを取り加速が遅いのではないかとか、バッテリー上がりが頻繁ではないかとか、ほとんど杞憂なことばかり心配されている。エコカーの性能から言えばむしろ愚にもつかぬと言ってさえいい内容の心配ではある。

燃料切れの心配などするよりその燃費激減の利得について圧倒されてほしいくらいのものである。環境に優しい以上にわが経済にももっと優しいのだから!
燃料電池の普及の前にハイブリッドはさらに進化してエコのエコたる内容を極めていくことだろう。なにしろ資源が乏しいという認識がありながら、いつまでも環境汚染に加担していては始まらない。

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2008年11月15日

イヤですね、怖いですね、そんなものは映画でだけ見たいですね!



冷戦が終わっても、国自体が分離され縮小されても、ロシアはいつも政治大国ではある。これが良きことか悪しきことか、それぞれの志向や嗜好によっても違ってくるだろうが、わがアンテナではちと敬遠、お近づきにはなりたくない、ということとなる。日本国はそうでもなさそうではあるが……。

なぜ敬遠したいかというと、まず、コワモテである、ということ。
政治にとってそれは必要悪(悪とも感じていないご仁も多いが)と承知の上で、まあ趣味ではない、ということ。
世界の政治家の中でもプーチン氏など、このコワモテの最右翼の一人ではなかろうか。脅しともとれる発言と言ってもいまさら驚くには当たらぬ存在ではあろう。サルコジ大統領の息子の身になれば、プーチン氏に抱きしめられてもゾッとはしない心地ではあるまいか。

権力を志向し、出世を志向し、まして政治を志向するとなると、恐れられる存在でこそだが、どうもこの恐れられるというのも苦手、桑原クワバラのクチなのではある。
どうもそれで生存競争に曲がりなりにも生き残ったなあ、と自ら感じる次第だが、まあそれは乾坤一擲獅子奮迅みたいなもので、嫌いなものは相変わらず嫌いなのではある。

そもそも政治とは権謀術数、いわば策略、これに肌合いが悪いのである。どうにも致し方が無い。大国にいじめ抜かれる小国みたいなものである。それを知ってか知らずか、もちろん存分に知って、さらに居丈高、というのがアチラさんの態度である。
イヤですね、怖いですね、そんなものは映画でだけ見たいですね、と淀川さんならおっしゃるでしょう。
グルジアのサーカシビリ大統領も同じ心地かもしれない。ナニなにサーカスがビリ、つまりは曲芸が最下位、政治的アクロバットなどさらに無理なのは目に見えているであろうに!

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posted by キャッツ・アイ at 13:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 政治

2008年11月13日

災禍ともいえぬ災禍だろうが、女優魂ここでも見せてくれるだろうなあ。



最初のニュースは「コン・リー、シンガポール国籍を取得」で、結婚相手がシンガポール国籍、なるほど!と思ったのだけれども、中国ではその行為に議論百出だという。自国の看板女優、それも国際的にも看板女優であるから、国外流出にショックなのではあろう。気持ちは分からなくはない。

筆者にしたところで、中国映画で誰が出ていると観る気がするかというとやっぱり、このコン・リー、「王妃の紋章」(2006)も観ているし、古くは「紅夢」('91)なども絶品。「きれいなおかあさん」(2001)なども思い出の綺麗なお母さん。「愛の神、エロス」(2004)も三つのオムニバスのうち、コン・リーのドラマだけにエロスを感じた。当然ハリウッド進出の「マイアミ・バイス」(2006)も観ている。

まこと国籍というのも不自由なもので、二重国籍も許す国もあるのは、その辺の事情を示すことでもあろう。今回の国籍移籍の事情は詳しくはわからないが、結婚生活をより地道に送ろうと思えば、夫と同じ国籍であることは子孫も含めてさまざまな便宜も付随してくるだろうことは想像出来ることではある。

だが国民感情は別。裏切りとも取る向きもあるのかもしれない。中国人民政治協商会議の委員の資格も失うというが、本人はこの騒ぎも含めて想像の中にはあったことだろう。それを押してもシンガポール国籍を選んだというところに大いに意志は感じられるのではある。
感情的な反発をよそに「中国人が海外へ移住する理由を、なぜ誰も聞こうとしないのか。多くの中国人が次々と米国国籍を取得するのに、中国国籍を取得しようとする米国人がいないのはなぜか」といった意見もあるようなのは、なかなかのものではある。

女優としてのコン・リーの価値にはいささかも影響なきことではあろうが、このことで心労を重ねるのはむしろ反発者の思うつぼ、その女優としての活動を長期的に沙汰やみにしないことを祈るのみではある。
たかが国籍されど国籍ではあろうが、これまた虚構と言えば虚構、国籍を超えて生きることこそが、これぞコスモポリタンの道、国際女優の道なのではある。

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2008年11月11日

ホンネである肉体で勝負、これ正しきことなり!



日本にはまだ上陸してないように思うけど、このフーターズ(Hooters)なるレストランチェーン、粋やないの。もう10回を数えるというから歴史も深いというこっちゃ。レストランということだから、普段はウェイトレスのあまりグレードも高くない制服に身を包んでいるのか、いずれにしてもセレブ服装でないことは確かであろう。

ところがどうだ。こうして存分に露出を極めると、改めてわが金言を想起するね。
「女の思想は肉体にこそ在る!」
言うまでもない。しゃべるまでもない。女にことばは余分、と思えるくらい、肉体は女の鮮やかなる思想である!

と言うとフェミニスト団体から、差別主義者とご指定を受けるかも知れぬが、真実は曲げられぬ。男よりもはるかに現実主義で、地に根ざし肉に根ざしているその存在の究極の原点は、その肉体にこそ在るのだから。

制服を着ていると男はその制服に限りなく閉じ込められていくが、女はその制服から限りなくはみ出ていく、ということにお気づきだろうか。
見る側が概念に閉じ込められていると、制服の彼方に在るものをなかなかに見出せなくなるが、その、もっとも閉じ込める制服が喪服であると思いだせば、閉じ込められた中身が限りなく飛翔するさまもお判りいただけるだろう。

そう、肉体は嘘をつかぬ。ウソをつかぬからこそ、さまざまな衣装に嘘をつかせる。さまざまな化粧に嘘をつかせる。化粧とは化生の謂いである。それもまた良し。
醜さよりも美しきを持って価値も生まれるから。
フーターズが上陸したら美人店員と思しきに狙いをつけて、「国際水着大会」にいつ出るの? と聞くことにしようか。

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2008年11月09日

メタボの迷惑、世界を駆ける?



およそロクな事件も無いので、ニュースへの関心も薄れるが、これはタイトルだけだと何やらユーモラス? といっても当事者にとってはそれどころではない夫婦喧嘩の真っ盛りの末故意か事故か人ひとり死んだようであるから、笑うどころではない。

何処にユーモラスを感じたかというと、メタボは自分にとって危険なことであるはずなのに、他人にも大いに危険なものナノダ、という改めての発見。日本のように狭い国土でひしめいている状況、ことに電車における座席では、メタボ人種大いに迷惑と、さらに想像が飛び火もした次第。

この事件の実際はようわからんといってもいいが、圧死ということであれば、大同小異の迷惑沙汰ではあろう。さらに日頃感じていることに類推していけば、太っている、いやいや太り過ぎている人間は漫画がお好きというお話。
これは単純に日頃電車に乗っていてあの分厚いマンガ誌を熟読されているご仁の統計学。マンガ誌に入れ込むご仁は、ご多分にもれずほぼ例外なくみな太り過ぎという観察である。

これ想像するに、あれこれ原因は考えられるが、もろに書いてしまうと、電車でマンガを読むご仁の傾向にしか過ぎないものを広くマンガ好きに当てはめてしまうようなことにもなろうかと、一応自粛するのだが、こと電車でその分厚いマンガ誌を拡げているご仁を観察するに、実に例外なく太り過ぎているというのは、改めて広く皆さんも観察統計されると面白いかもしれない。
メタボと漫画の関連、ということですね。これ極めてパーセンテイジが高い事実、メタボになるくらいだから自分にも他人にも鈍感、というその事実、当たらずとも遠からずかも。

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タグ:圧死 メタボ
posted by キャッツ・アイ at 04:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 戦争・災害

2008年11月07日

ひき逃げ犯、人間ワザでないその生活感覚、なんじゃコレ!


大阪のひき逃げ事件、容疑者逮捕で良かったとは言えるけれど、犯人の人物像が明らかになるに従い、とんでもハップンの行状で、こんな輩が大手を振って徘徊しているのが今日の社会かと、納得させるのにも思案を要する態である。

事故.jpgこれだけのことをしてまだ逃げようとしていたというから、救いも何も理解のほかということしかない。確かにこの手の手合いは、稀にはいるので、遭遇しないことを祈るのみということになる。
無免許の上、保険金詐欺で執行猶予中、自宅近辺でも小便をまき散らしながら歩いていたというから、道理もへちまも無い人物といっていいだろう。

こんなのにも執行猶予が付いてしまう裁判とは、いかなるものかということになるが、それこそダーティハリーに成敗してもらうしか手のない輩ではあるだろう。アンディ・ロビンソン演じる犯人も傷を負って「不当だ!不当だ!」と、天に唾していたが、価値観はさほど変わらぬ人生観だろう。出会いがしら、出たとこ勝負、あとは逃げるが勝ち、というわけだ。

政治も経済も生活も綻び、いよいよこうして人間が次々綻び切る時代だろうか。人間自身が天災の素因となっては、もはやどこにも救いはない。轢いてしまうところまでは事故でも、逃げるという行為は既に犯罪と気づかぬ種類の人間はいつの時代にもいるだろうが、逮捕されてなお弁明の余地もないことに気づかぬこの種類の人間には通常の常識で行う裁判では、漏れすれ違うことも多いだろう。
いやあ桑原クワバラ、という以外には、あきれるしかない。

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タグ:ひき逃げ
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2008年11月05日

本人以上に、世間も夢破れて残念だぞな、もし。



びっくりしたな、モウ、という奴で、最初小室哲哉⇔詐欺というから、詐欺にあってしもうたんかいな、お金持ちはつらいな、と思ってなんの気なし続きを見たら、ナニ本人が詐欺をした当事者らしいということが判明、なんでなんでそんなことせなならんの、なんかの間違いか、知らずに連座してしもたかと思うた。

いやはやもう既に釈明の余地なしということになって、改めてびっくりしたな、モウ、なのではある。まあ金銭感覚もマヒすればこういうことにもなるのか、早期撤退や規模縮小など現実感覚のイロハでもあるのに、膨らむだけ膨らませてその維持だけで数千万というその状況をよそに詐欺で補填ではちとお粗末すぎる話ではある。この結果も想像できるだろうに、創作活動とともにイマジネーションも枯渇し果てたという話なのだろうか。

バブル経済をバブルのままに運営していったその挙句といったところで、その現実感覚ではヒット曲もじり貧で不思議はないし、補填のめどもつかぬままもはや経済管理は支離滅裂、生活感覚さえ失われているとしか見えぬ。名声の頂点を極めたことも無いので僭越を承知で言えば、ただただプライドが邪魔をしたのかなあとしか思えぬ。

虚構の作者が、虚構のお粗末で逮捕ではせっかくの才能が泣くというところ、頂点を極めたプライドも、その活動背景を維持しきれぬところで縮小すべきプライドだったはずで、持つべきプライドと捨てるべきプライドの仕分けはどんなレベルでも心がける人間としてのライフライン、これ在るからこそ人間の価値も生まれるわけで、如何に見せかけのプライドを膨らましてみたところで、いずれ地金は出るものなのである。
名前を変えていたので知られることはなかったが、あのヒットもこのヒットも実はあの小室哲哉の手になるもの、20年後にそんなニュースを見たい気はするが……。

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posted by キャッツ・アイ at 14:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 芸能

2008年11月04日

少々でも曙光は見える大統領選、それに引き換え日本州は?????



政治の中はおどろおどろしいのだろうが、外野で居る限り、世の常、人の常、教訓には溢れ返っている世界ではある。
ほんとうに息の永い米大統領選、いろいろなうねりを見せながらいよいよというところまで来ているが、野球で言えばペナントレース、同じ選挙でも日本のそれはいつもクライマックスシリーズのような短期戦、この違いは大きく悲しく深い。

不況のさなかを理由に審判を受けることをどんどん先送りの日本と異なり、その濁流にもいささかも予定変更も無く、むしろさまざまな潮流を飲み込んで延々続く長丁場、まるで太平洋の波間に揺れて現れては消える幾多の残骸残照、助演賞も差し上げたいさまざまな出演者は、これまた見どころ演じどころを提供してなかなかの出来のエンターテイメントではある。

それに引き換え助演賞はいつも足を引っ張るが如くの不祥事失言暴言、見識より不見識をさらして波間に消えていくワースト事象のつるべ打ち、日頃お世話になり過ぎているのか、無駄遣いは見え見えのお役所にとんとお灸も据えず、イタチごっことスカンクの最後っ屁、いっこうに麗しき助演の逸材は登場しないままに推移する田舎芝居、観劇料ばかりがいつのまにやら鰻登り。

ふたことめには国民のためとのたもうても、それが所属する政党の政権存続のためでしかないのはこれも見え見えであるのに、恬として気づかぬふりの鉄面皮、恐れ入谷の鬼子母神だが、スリルよりもスルリとすりぬけるワザばかりが巧みな利権ごっこ、いささかもヴィジョンも未来も明確に見えては来ない三流企業の経営ぶりそのまま、お為ごかしの急場しのぎばかりのご機嫌伺いの長丁場、この違い、やっぱり大きく悲しく深い。

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タグ:米大統領選
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2008年11月02日

何故お墓はデザイナーズ・モニュメントにならないのか?



西洋のお墓は日本のお墓にくらべると、もともとお墓お墓していなくて、シックなものも多く、しかも明るい。これなど蓋をすれば葉っぱか枯葉か、その調度感覚にとことん自由が感じられる。
しかもUSB付きでメモリースティック挿入で故人の思い出の写真が覗けるとあらば、訪れる人も思い出に耽りやすい。

まあ筆者などはお墓など無用とも思うが、残されたものにはそうも行かぬ、ということであり、もとよりお墓は故人のためも幾分かはあろうが、多くはなお生きて故人をしのぶ者のためにこそ在るとすれば、お化けやゾンビの気配が感じられぬものこそ好もしい。

別に煌々と明るい必要もないだろうが、似たようなカタチの、せいぜい権勢を誇示するが如くに大きさだけが違う、まるでマンションの2DK3DK4DKの、ステレオタイプの造りのお墓であるより、どうせ造るなら、故人の生前の個性を表徴するようなカタチに、どうしてせぬものか不思議でさえある。

専門家とするお墓業界が保守的なのか、あまりに奇抜すぎても不謹慎と発注する方がブレーキをかけるのか、そこまでお墓に情熱も創意も無いのか、おおかたは従来風、旧来の感覚を踏襲してあまり踏み込みたがらない領域なのではあるのだろうか。
まあ経費を心配する向きには無難にということも分からぬではないけれども、富裕者にしても同じ慣行で、あまり変わり映えもないのはつくづくそのことわりがわからぬのは、無宗教の筆者のような輩だけなのであろうか?

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