2008年12月28日

20世紀が次々と亡くなっていく感じ!



ものごころのつく頃には、既に大きな名前だった。その音楽を知る時にはもうそれは懐メロだった。しかし、元祖キャット・ウーマンとは知らなかった。テレビ・シリーズの「バットマン」におけるキャット・ウーマンを演じたせいというが、Eartha KittのKittが、Kittenに近しいせいもあるのではなかろうか。その容姿ともども。

アーサー・キット。81歳か。20世紀が次々と亡くなっていく感じやなあ。21世紀を見届けるのは、今生きている人間はホンのごく一部、これから生まれる人間が見届けるわけやから、はたしてそのとき、21世紀が亡くなる印象のスターはだれだろうか。
チャールトン・ヘストンも、ポール・ニューマンも、緒形拳も、シドニー・ポラックも、アンソニー・ミンゲラも、市川菎も、筆者の場合ほとんどが映画に関係した人たちだけれども、20世紀は確実に遠く遠〜くへ押しやられていく感じ。

「セ・シ・ボン」「サンタ・ベイビー」も知っているが、なんといってもウシュクダラ・ギデレケで始まる「ウシュクダラ」が正体不明の面白さだったなあ。このウシュクダラ、架空の街ではなくイスタンブールの一街区で、ユスキュダルのこと。よりトルコ読みでウシュクダラになるという。

その歌詞の中身を調べてみたら「みなさん、トルコ帽をご存知でしょう。ウシュクダラはそのトルコのはずれにある古い小さな城下町です。昔、この町の女たちはみんな利口で美人ぞろいでしたから男たちは女の秘書になって小さくなっていました。ある雨の日、噂を聞いてはるばるこの町を訪れた男たちの一行がありました。」
「ウシュクダラはるばる訪ねてみたら世にも不思議な噂の通り、町を歩いて驚いた、これでは男がかわいそう。町中の女を自慢の腕で恋のとりこにしてみせようと粋ななりして出かけてみたがとりこになったのは男だったとさ。とりこになったのは男だったとさ。」

このアーサー・キットを「世界で最もエキサイティングな女性」とオーソン・ウェルズが評していたとは、これも知らなかったなあ。オーソン・ウェルズの仕事そのものも3分の1も日本に輸入されていないのだから、これも致し方がないかもだが、有名無名も島国にいると、太平洋の波間に揺れる枯葉のごとし、か。

「セ・シ・ボン」はシャルル・トレネのカバー、さらにはピアフの「愛の讃歌」もアーサー・キットのカバーでさらに世界的なものになったとか、他人の歌で自身の個性を吐露し、自家薬籠中のものにするのも、これもプロのワザなんやと、改めて認識。合掌し続けやけど合掌。

人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
posted by キャッツ・アイ at 11:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 芸能

2008年12月27日

一時代の終焉を覚えさせる作家の死。



24日、ハロルド・ピンター氏、逝く。享年78歳。
その名があると、興味を魅かれて拾いものをした映画作品も一再ではないし、何といってもジョセフ・ロージーとのコンビでの、「召使」('63)「できごと」('67)「恋」('71)は、映画史にも残る仕上がりであった。

ほんとうのことはこれだ!という描き方をせず、ほんとうはこんなことかもしれない?もしくはほんとうなんて誰にもわからない!あるいはこれもあれもあんな風こんな風にも見えるものです!
そんな描き方ともいえる視点だった。

赤狩りでハリウッドを追われたロージーとのコンビは、赤狩りそのものの不条理もさることながら、この解答を明確に示さない、事象を縷々と語るだけの作劇は、大いに新たな訴求力を映画にもたらし、ロージーの一時代をさらに骨太にするものでもあった。

寡黙でありながらそこに頑固と言ってもいい明確なテーゼを忍ばせていることは二人に共通するものだったから、このふたりの協力の時代に、上記のような収穫が生まれたことは偶然ではないだろう。

ピンターの名前が脚本にあるというだけでTV深夜放映で拾ったポール・シュレイダーの「迷宮のヴェニス」('90)もまた、惨劇が次々と起こる中に、独特のヴェニスの風合いを閉じ込め、きわめて魅力に満ちた作品であった。

俳優としてのピンターを観ることはできなかったが、その風貌からしても性格俳優というような存在感のある、これも独特の地平を保っていたことは想像に難くない。筆者などには、大いにカッコイイ、その存在のありようだった。その営為が生き方に等しい、ある意味うらやましいような仕事ぶりであった。

これからも見逃しているピンターの名で、その作品を拾うことだろう。
幅広いその興味のありようこそがその魅力でもあったし、その興味のありようの道筋にこそ、さらにまた魅惑も高まる存在だった。合掌。

人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
posted by キャッツ・アイ at 11:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文化

2008年12月25日

いよいよ断末魔、自ら壊れる機能もない様子やなあ。



解散決議案に賛成! 果敢でよろしいんやないの。だいたい組織にいつも唯唯諾諾で対処する組織の一員ほど、反吐の出るものもない。パフォーマンスという声もあるやろけど気にかける必要もない。パフォーマンスなくして政治もなし、やからなあ。こうまでいさぎの悪い政権だと、解散も国民投票にしてほしいくらいのもんや。

だいたいLiberal Democratic Partyが自民党のことだと思うと笑止千万。KY党と名義変更したほうがエエくらいやないの。いま解散すると、負けそうだからというのが解散しない最大の理由だろうけど、引き延ばせば伸ばすほど僅差が大差になっていくだけやないの。それすらもKYなんだろうけれどもなあ。

党籍剥奪も出来ないのは、わが身が細るのがこれも怖いだけ。いま最も勇気のない政党が政権運営をしているわけだから、この世も明るくなりようもないわなあ。やってることはグズグズのモタモタ、国民も泣くに泣けないのことあるよ。時間さえ過ぎればウルトラCか敵失で、なんか好転するかもという女々しい一縷の望みを託しているようにしか見えないね。

国対委員長は、遺憾を表明した一方で、与党は結束していると強調という話だけど、これこそパフォーマンスだけのもんで中身は希薄、にっちもさっちもいかない状況を露呈しているだけやなあ。みんなもっともらしい顔をしてもっともらしいことを言うけれど、死に体の組織で鈍行列車をどう運転しようかそれすら見えず、互いに信号待ちみたいなところで右往左往や。己が行く末だけが心配なんやろなあ。

人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
posted by キャッツ・アイ at 11:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 政治

2008年12月24日

イヤやねえ、ウソこそマコトが常態なんてねえ。



やっぱりねえ。オモテとウラは大違い、コレ政治の鉄則やねえ。
鉄面皮でこそ、政治も粛々と進行するわけやねえ。だいたいホンネはそんなところやろと思うていたから、いまさら驚きもしないが、いまごろあきらかにされるというのも政治のからくりやねえ。

所詮政治は脅し合い、そのバランスでコトが運ばれることは、数の論理だけでもワカることだし、アメリカの懲りない制圧政策を見ても、北朝鮮のシーソーごっこを見ても、あほらしいほどワカることなのだが、こうして他力本願を期待し続けるからこそ、べったりのアメリカ施策も成立しているわけで、まさしく車の両輪。

非核三原則のお蔭でノーベル平和賞も受けたのだろうに、これでは非核三原則そのものが張り子の虎、絵に描いた餅、仏造って魂入れず、いまさらジローならず官房長官が、非核三原則を「確固不動の政策」と強調しようと、なんだかねえ。ウソ寒い「米国もこれを理解している」やねえ。

どうせ言うならその理解の中には、「米国が核兵器を使って、ただちに報復することを期待」という文脈は入っているのかいないのか、それだけでもはっきり言ってほしいねえ。これを言わない限り元の黙阿弥、臭いものには蓋、破れ鍋に綴じ蓋状態は、これまでと少しも変らんやないの。
まったく体面保持と目先の繕いだけで終始する点は、進化しないことムジナのごとし、かもね。

人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
posted by キャッツ・アイ at 11:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 政治

2008年12月23日

視聴率最大の人類絵巻の、小さなエピソードではあるけれども。



不況下で何が好況の素因になるかわからぬ稀有な例かもね。
投げつけられた靴をブッシュ・シューズと名付けるのはブッシュ大統領にしてみれば「なんのこっちゃ?」だが、わかりやすくはある。
イラクにおける怨嗟の対象に過ぎないブッシュ大統領も少しは功徳もほどこさねばならぬだろうが、製造責任者はトルコ・イスタンブールの業者というが、僥倖のような飛び火ではある。

靴のデザインを見れば安全靴のような風体、筆者も先のとがった靴よりこのタイプのそら豆風前部の靴を愛用しているから、プライスによっては1足欲しいくらいのものではある。
1万5000足しか売れていなかったのがたちまち37万足の注文とは驚くべき経済効果、イラク人以外で最も靴を投げつけたイラク人記者に感謝の販売責任者ではある。

捨てる神あれば拾う神あり、ところ変われば価値変わる、一筋縄ではいかぬ世界の絵模様ではある。
一方、アラブ首長国連邦のドバイでは一挙にバブル崩壊の雲行きだとか。初夏のころに、建物全体が回転して各部屋からの展望が様変わりする高層マンションのニュースも見て、このマンションの行く末を知りたい気がしたものだが、どうなったかねえ。
一時期は世界中のクレーンのほとんどがドバイに集まる建設ラッシュ、重なるイベントで呼び寄せられた有名人も多いが、もはや急激な過疎化というから、夢の醒め方のスピードは屈指の廃墟となるのだろうか。

人類をこの不況がどこに連れていくのか、百花繚乱の絵模様を描きつつ、人類自体のカタストロフィになるのか、やがてさざ波程度に終焉していくのか、悲喜劇もろもろ携えて、最も予断を許さぬ大河ドラマかもしれない。誰しもが他人事にはならぬ意味でも、視聴率最大の数々の余波はまた生まれていくだろうなあ。

人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
posted by キャッツ・アイ at 06:18 | Comment(0) | TrackBack(1) | ライフ

2008年12月20日

おどろきもののき、認知症の種子!



人間にもし理性なり知性なりがあるとするなら、この「犬を捨てる最もあきれた理由」を知るならば、ほとんどそれは誤解に過ぎないことに気づくだろう。

「イヌがわが家のソファにマッチしないから」「イヌが悪魔のような顔をしていて、デービッド・ボウイ(David Bowie)のように、左右の目が違った色をしているから」「黒いイヌは、新しく購入した白いカーペットには合わない。白いイヌと交換してもらえないか?」

この第1位第2位第3位の理由をみると、少なからず人間には愚かしき痴呆性!が進行していることが証明されるだろう。
まあごく一部ではあろうが、貧困層ではこんなことは考えられもしないから、これは限りなく富裕層に多い感覚といってよいかもしれない。

まあ、ある一面、人類はどこまでアホになれるかという、地球を舞台とした壮大な実験かも知れず、いまさら驚くには当たらないかもしれない。あるいは富の豊穣は人間の理知や情操を弛緩させてしまうという、これは証明になるのかもしれない。

だから貧しき時代がよかったなどという気もないが、富もほどを知る、欲望もほどを知らなければ、人間にとって富みさえも凶器であるというこれは証左であろうか。
対象は犬だけに限らない。やがてその弛緩は、人類が認知症の別名になるやもしれぬ。
誰がこの認知症を介護する?

人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
タグ:認知症 弛緩
posted by キャッツ・アイ at 07:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | ライフ

2008年12月17日

ロシアにも美人は探せばいるんだよねえ!



気力充実ならいざ知らず、いささか体調を崩していると、世界の争いごとにあまり介入もしたくなくなる。同じ争いごとでも美の争いなら、心も華やぐ。ミス・ワールド第58回、珍しくロシア美人の栄冠、ほっそりとして、ロシアの女性というとたいがいご貫禄のおばさんをイメエジしてしまう筆者としては、眼も覚める。

ミス・ワールドと言えばなんとなくミス・ユニバースの後塵を拝するように思うけれども、その前身であるビキニ・コンテストはミス・ユニバースの初回前年に開かれ、以後毎年開かれているから、さらに後発のミス・インターナショナル('60)と併せて、美人コンテストの三大大会とは言えるだろう。参加熱も低いのか日本人の優勝者はまだない。

ロシアの女性がご貫禄のおばさんに象徴されるのも共産主義国のせいかも知れず、若い時はこんなスレンダーな美人もいるということも証明されてご同慶の至りではあるが、筆者にとってロシア美人の最高峰はいまだにリュドミラ・サベリーエワ、あの「ひまわり」の佳人である。そしてロシアであるだけに輸入もされていない多くの作品が在るのだが、中で観客動員が果たせず、数日でロードショーを打ち切られた「帰郷」もしっかり見ている数少ないリュドミラ・ファンとして生きているわけである。

その後のリュドミラの消息は杳として知れないがいま60代後半、もう引退はしているだろうが、日本にはたった4作品、全部を堪能しつくしているが、まるで早世の美人を思うはかなさにあこがれる気持ちも混じるのもいかんともし難い。どれもが20代、せめて30代の彼女を観たかった気がするのも、無念の島国ではある。

人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
posted by キャッツ・アイ at 11:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 芸能

2008年12月16日

そんな研究姿勢ではノーベル賞は無理のことよ。



科学者の間では、「不公平感」は社会的協調の発達のうえで重要な要素であり、つい最近まで、こうした感受性を持っているのは人間だけと考えられてきた。
――なんて考えること自体が人間の驕りやないの。

万物の霊長なんてコトバだって、あくまで自己申告、勝手にてっぺんに立ちたがる人間の習性といった方がいいように思えるくらいだ。
嫉妬心で言えば、こんな経験もある。ときどき見かける野良犬に餌をあげていて、その後に犬を飼ったら、野良犬は事あるごとにわが愛犬をつけ狙い襲うようになった。

猫だってそうだ。片方だけにべたべたしていると、その様子をしっかりもう片方が観察している視線に出くわすことは一切ではない。
なにも大げさに実験などする必要もない、日常的な事実である。どうも学者の実験は、結果が自明なことにも事新しく証明して見せる二番煎じが多いように見える。

動物に感情が在ることくらい、身近に動物に接していればアタリキシャリキの事実で、モルモットの必要などあり得ないことと思うがね。
パンとソーセージで、そこにあらかじめ優劣をつけているらしいこともおかしな話。ところ変われば価値替わる、人間の世界でもよくあることだし、そこに質の違いに斟酌なしというのは、オイオイ、結論は早計にしか過ぎないんやないの。

人間の勝手な解釈にアンチテーゼを突きつけたと言ってもいいのがヒッチコックの「鳥」で、こんな柔軟な思考ができるからこそ、名匠も生まれる。結論が先にありきというような事実を、ことさらに証明して価値があるとはとても思えんがね。

人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
posted by キャッツ・アイ at 06:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | ライフ

2008年12月13日

全世界を不況で覆う中ではのどかなニュースだが……



ヌーディストクラブに許可された地区を廃止の計画――海岸線の侵食によって日光浴を楽しむ愛好家向けの砂浜と家族連れ向けの砂浜の両方を確保することができなくなったため――なら仕方も無いんじゃないのかねえ。

1つを廃止で他にもあるようだから、贅沢も言っていられないということやないだろうか。まあこのうえは同好の士でヌーディスト銭湯でも自営して、地平線の壁画を前に三々五々、寝コロンボ大会でもすればエエんやないのかなあ。

まあ少数派の趣味嗜好で援護もしたい気もするが、こればかりは地球上の環境変化の結果やし、独自ライフは独自方針で空間を醸成していくのが筋やなかろうか。
行政に迫害されているのではなく、行政に譲歩するべきところはしないと既得権益の権利団体とヌーディストクラブがなって、それではおのずからの自らの存在を否定する事態でもあるんやなかろうか。

海岸線侵食程度で済んでいるうちはともかく、島全体が水没の危機もあるモルディブなど、どうすりゃいいの、という成り行きだし、まだまだのどかな争いにしか見えんなあ。だいたい行政に保護されて存続するヌーディストクラブって必要かね?と遠き国土も微小な島国の筆者などは想うのであるが……。

人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
posted by キャッツ・アイ at 07:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | ライフ

2008年12月11日

いまはこんな時でも、いつかこの時というのは、必ず来るものである。



不況の嵐はソニーをも呑み込み、ソニーよお前もか、という向きもあるであろうが、海外市場がその売上の8割を占めるというソニーならなおのこと、経営を直撃しているだろうことは想像に難くない。
売れないのに生産ラインをこれまで通りに維持して生産を続ければ、在庫の山は必至、縮小せざるを得ないのではあろう。

ソニーに限らず新卒内定取り消しや、期間労働者の削減も相次いでいるニュースもあり、時期も時期の師走では、該当してしまう当該者もたまったものではないだろう。しかし、共倒れするか不採算部分をカットするかとなると、後者をまず実行していくことから始めるのは一方の経営倫理、個々の例ではご都合主義的なそれもあるだろうが、万やむなしという場合も皆無ではないだろう。

内定は内定、決定ではない、とうそぶく企業がいたのにも驚くが、それ相応の対応と惻隠の情がその流れの中に組み込まれていなければ、それこそ企業イメージを損ない、不況のせいでないマイナスを抱え込むことになるのは果たして展望の中に在るのか、危うい企業倫理で対応していると、元も子もなくすはこれまた必死であるだろう。
そんな意味でも、ソニー自体よりソニーでさえと便乗リストラを敢行する企業の出現こそ恐れるべき状況かもしれない。

そしてまた、余程のエリートでもなければ、望む就職などほぼ皆無なのはいつの時代でもむしろ普通、次善、次次善、次次次善と、希望を下げていって引っ掛かればまあマシくらいが、筆者の中退時の就職事情、希望にあふれてなど、夢のまた夢でもあった。

世間の大波に捲き込まれぬ用意、そのことの方がそれからのわが施策だった気がする。不遇など永い人生の中で遭遇しないものなど、これまた氷山の一角に過ぎぬだろう。自分自身が引き継ぐ就職のバトンリレー、考えようではチャンスにもなることもあり、だ。
力を蓄えておけ!されば時至る、というしかないのではある。

人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
posted by キャッツ・アイ at 15:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会

2008年12月10日

さっさといさぎよう解散するのが礼儀やったんやけどなあ。



いよいよかなあ。近頃TVでは漢字力テストが大流行りなのも知っとったんかいなあ。羞恥心もビックリの漢字力ではなあ。眼を疑い、心も疑いたくなるのは結局官僚の作文を棒読みも無理やったんかいな、というところやからなあ。

先の、先の先の、それぞれプライドが持たず放り投げた政権や。くらべて打たれ強いという話もあるが、箱庭田舎村の、国民もあずかり知らぬところで選び、せめて選挙の切り札にと目算した自民党も、ここに来てご都合主義極まれり、という案配か。ごくろうさん。

しかし変わりのいないのはいよいよ国民の不幸。衆院3分の2割れして、有象無象の離合集散、またぞろ政権亡者たちの田舎芝居か。
週刊誌的には面白かろうが、高い高い税金のツケがこれではなあ。ツンボ桟敷席としてはなんやアホくさ。

誰がなっても出来る、誰がなっても同じ、誰がなっても同行異曲、もうそんな概念で受け止めとるのもそちとらド田舎だと、ちいともワカランのではあろうけれども、しっちゃかめっちゃかの国会運営の顛末、まだ序章のようやから、さらには究極のウルトラCの奥の手、つまりは究極のご都合主義を見せてくれるのか、いずれにしようが、まあとんだクリスマスシーズンの余興とは相成りましたなあ。

恥の文化もいよいよ恥ずべき文化と、変貌して来よったんかいな。ごくろうさん。

人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
posted by キャッツ・アイ at 07:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 政治

2008年12月09日

脚線美は女の晴れ舞台、包み隠さず見たいものであるのは男の願望。



韓国映画もややボルテージを下げてきたのは、映画振興国としての輝きがすこうし脱色してきて、いささかルーチン・ワーク的に同工異曲も見えてきたかという時期に移行の趣なのかもしれない。

もともとブームに乗るほどは身も入れなかったけれども、キム・ギドクだけはその最大の収穫、全作品も見通した。キム・ギドクはその名前も覚えやすいが、韓国で困るのはその名前の覚えにくさ。似たように聞こえてしまうそのカタカナは判じもののよう。

同じ判じものでもこの脚線美なら、いずれがあやめカキツバタのたぐい、顔はあれこれ好みがうるさくなるが、脚線となると、女優になるほどの身なら、ふだん見えないところが一瞬でもあらわにされれば、男たるもの、ワクワクどきどき、見境もない。

それを知ってか知らずかでなしに、存分に知って、それをこれ見よがしというのが、これまた女の料簡。見せてナンボの女商売でもあるから、自然覆い隠しつつも見せる瞬間をむしろ当人もお楽しみかもしれない。
ちらりほらりにワクどきするは、これも男のサガ、覆い隠すことでチラリズムがいかように施されるかのドレス・デザイナーの見せ場でもある。

映画の授賞式という場はまさしく実は女優の品評会、筆者など近頃は本編の作品自体のデキがお粗末なことが多い日本映画など、受賞のあれこれより女優のドレス・アップのあれこれの方に注視して、その妍を授賞式に愉しむといった案配である。

ほんとうはそのあでやかな妍を本編にこそ刻印する映画作品をこそ観たいのではあるけれども……これがなかなか無いねえ。

人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
タグ:脚線美
posted by キャッツ・アイ at 11:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 芸能

2008年12月06日

面白い風習に、歴史ありやろなあ。



ところ変われば品変わる。幸ウンを呼ぶ?カガネル(排便)とは妙!
政治を嗤うにしてもこれも一種のステイタス。欧米主体ではあろうが、これではもうふんぞり返れば返るほど滑稽ということになるなあ。

クリスマス市で売られ、スペイン・カタルーニャ地方では18世紀からの風習で、クリスマスの時期、自宅に有名人や話題の人物を模したカガネルを飾る。繁栄、希望の象徴とされるというのだから政治家諸氏も文句はあるまい。むしろ取り上げられずカガネルになりそこなった政治家こそ無聊をかこつシーズンなのかもしれない。

スペインというと、とかくなにごとも<濃い>感じがするけれど、そのユーモアの現れがコレといえなくはないだろうか。なあに偉そうなことを言っても人みな同じ、カガむ時も永眠(ネル)するときも、避けて通れない人みな通る道――カガネルというわけだ。

18世紀からの風習という。共和制やフランコ独裁の一時期をのぞいては連綿と連なる王制の国。果たしてその王のカガネルは在るのか無いのか、興味を呼ぶところだが、アンタッチャブルな領域なのかもしれない。とにあれ、スグにふんぞり返り威張りたがりエエ気にもなる人類には、この種のお灸も大いに必要ではある。

人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
posted by キャッツ・アイ at 11:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文化

2008年12月04日

水だらけでもこの魅力の魔都を知れば……。



水の都というより水だらけの都となってしまったわけである。この惨状ではゴンドラも運河も、風光明媚を象徴するわけにもいくまい。これも異常気象の成せるワザだろうか。

しかしもともと迷路のような路地と通りに彩られ、その先には何が現れるか予期も出来ぬところから、魔都とも呼ばれてもいるのだ。こんな災害もその魅力の隠された逆転だったかもしれない。
地元では無論そんな悠長なことも言っていられないだろうが、その魅力は世界に知られるところのものであり、自国のみならず外国映画作品にその舞台として選ばれることも多く、ヴェネチア映画祭は映画祭の中でも老舗中の老舗ではある。

移動も車は使えず、故にこそゴンドラは観光という前に重要な交通手段、こんな状況だとゴンドラ自体も水没して、それぞれ離れ小島となったように家屋に蟄居ということになるのではなかろうか。
もともと現在のイタリアそのものがいくつもの国を統合してできた建国100年にも満たない国だから、それぞれの土地にはさらに深い歴史的風雅が在る。

といささかイタリアびいきの筆者も力が入るが、わが師スタンダールも墓碑銘にフランス人でありながらミラノびとと記し、生きた書いた愛したと刻んだそのイタリア、好みの美人を次々と輩出するイタリアだから致し方も無い。
艶冶な世界に突出するも、戦争にはあまり強くないというのもわが好みではある。水の都にして魔都ヴェネチアよ、永遠に!というところではある。

人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
posted by キャッツ・アイ at 10:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 戦争・災害

2008年12月03日

孤独を楽しめなくて、何のためのふたりぞや!



なーるほど、だろうな。独身男性だろうと独身女性だろうと、つがいでないことが肩身狭くなるように、あまたの慣習はうるさいからなあ。
それがクリスマスに頂点に達するというわけだ。年配になればさほどのことはなくとも、お年頃にはきついのかもね。

一人だと淋しい、二人だと嬉しい、これ本当かね、と疑って見るべきだなあ。一人だと淋しい時もある、二人だと嬉しい時もある、というのが正しい。この逆、ひとりで嬉しい、二人では辛い、なんてこともゴマンとある。冷静に考えてみようというこっちゃ。クリスマス・シーズンの商戦に呑み込まれて、平常心を失うのが、愚の骨頂。

だいたい、「クリスマスに向けて恋人を作るための準備をする、またはしたことがあるか」というのが愚問や。こんな愚問にうまうまと嵌められて答えることあらへん。
クリスマスを冒涜しとる!なんてお固いことは抜きにしても、クリスマス用に用立てた相手や、そんな下心が先に在ること自体が上手く物事を運ぶ障害やということに気づかないとなあ。デキルときは謀らずとも出来る、発情期が発情期のままに踏み込んで行ってウマくいくハズもない。

独身男性のみならず人みな孤独、このわかりきった原理をしっかり叩き込み直すのがまず先決、孤独に耐えきれんで物欲しげに巷を彷徨するのが青春とも言えるけれども、内なる青春はそんなところからやってきはしない。孤独に耐え切れんふたりが衝動のように共に過ごしても一夜限り、虚しい孤独は倍加されるだけや。

そもそもこの手前味噌な我田引水的設問で顧客を増やそうというのがこのアンケートの主催者のたくらみや。クリスマス商戦のひとつといって間違いはないなあ。
だいたい淋しいとか淋しくないとか、余計なお世話のたぐい、自立した人間はそんなところの埒外を生きとるハズや。周りと比べて、どうという価値観、これが一番豚にでも喰われるべき価値観やからな、覚えておこう!

人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
posted by キャッツ・アイ at 12:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | ライフ

2008年12月02日

遠慮もし過ぎると、被害をこうむるのはどっち!



ニュースだけ聞くと単純に現代教育の現状に慨嘆!ということだが、あれこれ追加情報を得ると、どうもそう単純なことではないらしい。それにこのニュースでは「喫煙室」だが、実際の呼称は「禁煙指導室」だそうな。実効は、ひとりだけはあったそうですが…。

全校のほぼ3分の1が喫煙習慣というのも恐れ入るが、むかし高校生が喫煙というのは反抗や抵抗の表現としての意味もあって、あくまで少数派、まさしく不良は少数派だったのである。
しかしこれだけ不良(誇りも失い、死滅したことばか?)が多くなってはそんな趣旨も感じられぬし、許容される部分があるとなると、ばかばかしくなる気骨もかつてはあった。それがこんなに同好の士がいては面白くも無くなると思うが、そこに現代気質が在るのであろう。

ひとつは既にたばこそのものがおいしく感じてしまっているニコチン中毒、ひとつは仲間に引きづられる付和雷同一族、ひとつは他を他と認識できぬ甘ったれ症候群――というわけで、いずれもロクな理由を想像できない。
ロスト・ジェネレーションには誇りも文化も感じられたが、この、なんと言おう、ボウフラ・ジェネレーションとでも呼べばピタリと来るが、いささかでも言い分さえ持つまい。

親が甘ったれさせていると、とことん図に乗るのは、図々しい人間に遠慮していると、とことん図々しくなるのと同じで、果てしもない。世界にルールが在るということすら知る気も無いのだから、知らしめるしかないだろう。
と言うと、押さえつけるばかりが教育ではないと、お決まりで耳タコの教育論が幅を利かすのが通例、ひっぱたくのも押さえつけるのも(時には)教育なのである。教える方がアホではアホが育つは道理、ボウフラはどんどん巷に溢れるの図ではある。

人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
posted by キャッツ・アイ at 11:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | ライフ

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。