2009年01月31日

バッタも人類も50歩100歩かも!



……ということは、すぐ群れる人間の習性もセロトニンのせいということになるのかしらん。あるいは、他人と違うことを恐れる習性もこのセロトニンのせいかもしれない。

人間の血中にもこれは存在しているようで、うつ病や神経症などの精神疾患(無論全てではない)を、近年では、セロトニン系に作用する薬物を用いることによって、これらの疾病を治療することができるようになった、ということである。
つまりは、ふだん忘れているが、人間もバッタなどと変わらず限りなく動物であるということである。

……ということは、バッタが、食糧不足のために集団にならざるを得ない状況でぶつかり合うのと同じ状況を作り出すのと同じ状況が、満員電車で見られているわけである。
研究者は、急激な生物学的変化が起こる仕組みについては 90年間 も頭を悩ませていたというが、身近に視点を変えれば、まさに群れムレごっこをこのセロトニンが作用させている、と言えなくはない。

……ということは、セロトニンは脳内の化学物質で、人間の行動や他者とのかかわりに大きく影響を及ぼすものとの認識を以前から持っているにもかかわらず、90年間も悩んでいたということでもある。
内気で孤独を好む昆虫を大集団に団結させるのを知るのは驚きだろうが、同様にセロトニンが内気で孤独を好む人間を大集団に団結させるのを知るのは驚きだとの認識も持って、さらに正解ではないだろうか。

まこと他の動物に比して、人類がさほど確然たる知性の持ち主でないことを知ることも、こうして時には必要なことであることよなあ。

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2009年01月29日

遺棄屋は末端、殺し屋の元締めは麻薬カルテル!



これは正確にいえば殺し屋というのは麻薬カルテル、酸を満たしたタンクに遺棄していたのは遺棄屋、というべきだろう。

いろいろ驚くけれども、10年の間に300人ということは1年に30人、いかなる必要があったのかは知らぬが、所詮シンジケートを守るための殺人ないし死の幇助であったには違いない。当局の網も細かくなる一方だろうに、麻薬が無くならないのはそれが法外に儲かるからだろう。

それにしては遺棄屋の、週給600ドル(約5万4000円)というのは安いなあ。当人も末端の足元を見られる歯車にすぎないのだろう。大物は麻薬カルテルのボスなり、巨富をむさぼっていた中枢の男たちなり女たちなのだろう。事実は小説より奇なり、ではある。

小説は公開されるがシンジケートは秘匿中の秘匿であろうから、こうして明るみに出てくると、闇から出てきた蝙蝠の奇怪さ、なのではある。

組織悪などというが、組織が網の目のように張られてこその組織悪で、組織善より組織悪のほうが実ははるかに多いと筆者などは思っていて、多勢に無勢、ほとんどの場合はその告発もされず強権に守られて、悪い奴ほどよく眠っているわけだろう。

強権を持つと持たぬとでは、人間の性格にさえ変貌をもたらすから、組織悪にはほとほと人間のマイナス面を増長させる作用があるのではある。そのために政治なり法律もあるわけだけど、これまた組織だからねえ。危ない危ない。

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2009年01月27日

明けても暮れても<品格>、もういい加減にせい!



毀誉褒貶、話題の尽きない朝青龍だけれども、大統領を目指すということは相撲界いずれは脱出、親方衆にはならんということだね。
もはやモンゴル勢が上位を占める相撲では今回の優勝で果たすべきはほとんど果たし、別世界での活躍をもくろんで不思議ではないだろう。

それに、またぞろ品格云々の声も上がる相撲界だから、相撲は好きでも相撲界は嫌い、ということかもしれない。これだけ外国人力士があふれ、国際的にもなろうかというのに、この品格騒動には筆者も首をかしげざるを得んね。まあ少々の逸脱もあるかも知れんけれど、実際まだ20代の若者だし、意気軒高で突っ走れば、そうはなにもかも品行方正というわけにもいかぬだろう。

今回の破天荒のカムバックにしたって、その欠点といわれる品格と裏腹なところが多分にあるわけで、人は誰でも短所と長所は裏表、片方を無理やりに矯正すれば両方無くなってしまう恐れもあるものだ。
横綱だからといって国も民族も感覚も習慣も違う朝青龍に、よーまあ苛め抜くものだといつも思う。横綱以前に本名、ドルゴルスレン・ダグワドルジであるのだから、犯罪でも犯しているほどのバッシングはまこと違和感もある。

逸脱するぐらいの心意気があればこそ、今回の優勝もあり得たわけで、模範を垂れるほどの力士が日本に一人としていない現状なのだから、もういい加減にしてもらいたい説得力のない品格騒動ではある。
まあいじめればいじめるほど反発心、反抗力を持って強くなるのが朝青龍、むしろたいしたたまげたと、素直に感嘆するのが国際的マナーだろう。おそらく現役中にこの力量を超えられる日本力士は育つまい。そっちのほうが先!や。
それに品格のない横綱審議委員すらいるのでないの?

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2009年01月24日

船出は希望に満ちてこそ、まずはそれを教える新大統領!



就任式が終わって、当初の過熱が徐々に沈静化していくあたりが、いよいよ本番ということだろうけれども、大統領が変わると、国情一新するのは羨ましきほどではあります。ことに今回の迎えられ方は、ケネディ以来の、熱狂が感じられます。

黒人最初の大統領、という一面もあるのでしょうし、前任大統領の不人気の反動もあるとは言えますが、選挙前には最大の政敵であったヒラリー・クリントンを国務長官に抜擢、文字通り挙国一致内閣の様相を構えたところにも、大いなる人心一新の気配が感じられます。

実にいつも我々、ということばが枕に使われるのも国民が同化しやすい一因だったかもしれません。わが国の政府が、我々と言ったところで、それが想起させるものは自民党でしかないのと、雲泥の差です。
人種のるつぼでありながら、こんなパフォーマンスが可能であることにこそ、アメリカの良き伝統も作用しているはずですが、わが国の、とりあえず変ってほしいこのままではノー、というだけの、だからといって希望も見えない、退嬰的な感覚とは一線を画するところが、なによりも清新ではあります。

愚痴は言うまいこぼすまい、です。世界が変われば日本も変わる、そんな受動的なところでしか、政治の好影響を味わえないにしても、変化の感じられることは窓を開放するように気分を一新させてはくれます。帆が満ちる船出ではあります。
いつの日か、日本の政治も愚かしさのリフレインでなくなることをささやかには期待しつつ、世界にどんな影響を加えていくのか、学びたいものではあります。

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2009年01月21日

「世界一素晴らしい仕事」幻想にハマりたくはあるけれど……。



アクセスがダウンするほど「世界一素晴らしい仕事」に殺到、ということは、如何に多くの人が、いま「素晴らしい仕事」に飢えているかということ、かもしれないね。世界的不況だから、「素晴らしい仕事」どころか、「仕事」にありつけない人も多くいる時世だしね。

そうでなくとも一般的に、多くの人が「素晴らしい仕事」に飢えていることだけは確かな気がする。稼ぎに稼ぐけど、自由時間は僅少、使うは女房ばかりなり、という場合や、その逆、時間は自由でも使えるマネーは僅少という場合、仕事あってのものだね、とはいっても、まこと世界一とまで求めずとも素晴らしいと感じられる仕事ほどこの世に<僅少>なものもないかもね。

それに、外見に素晴らしいと思えても、実際その渦中にハマるのとでは感覚も違うだろうし、世界一というからにはスキルについても相当なことが要求されることだろうし、半年間という限定もあるから応募者もおそらくゆとりを持った応募者が多いのかもしれん。金メダリストまで応募者にいるようだし。
上を観ればキリがないのが仕事というものでもあろうし、悩ましいところや。まあ世界一よりもほどほどのところで、ほどほどの収入とほどほどの自由時間が得られればいいという程度に思っていた方がいいのかもしれない。

ましてグレートバリアリーフ、どうせ半年間過ごせるなら、ギャラ云々を超えて遊びほうけたいね。時々バイトくらいならまだしも、そこで定職となると、あれこれそうは勝手もできぬだろうし、遊びと仕事では自由度がまるで違うしね。
と想うのも、実は「世界一素晴らしい仕事」と思えるお仕事に就いたことなどないせいかも知らんけど。でも、仕事と遊びはいっしょくたにはできんとは思うなあ。遊びの延長が仕事、仕事の延長が遊び、というのが夢であろうともね。

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2009年01月18日

機能異方性形状記憶合金というといかめしいけれど、癒し玩具やねん。



やっぱりねえ。人間相手は何かと疲れるからねえ。
この価格でホッとできるなら、売れるのもよーワカる。ほんものの植物だって、返事こそないけど聞き分けするわけで、聞き分けの悪い人間よりそこそこの慰めにはなるだろうなあ。

まあそれだけ人間の方が弱くもなり、疲れてもい、面倒くさくもなっているわけで、この疲弊しきって行く人類の未来は、ラジカルな野生は犯罪でしか見られなくなり、後向きの優しさだけがかろうじてその反証を示す程度になるとは思いたくもないが、たかが玩具といっても、結構切実なものをこれは含んでいるからね。

ここのところはそんなこともいささか自覚しながら、家電の癒し系とでも思えばいいのかもしれない。いやなニュースばかり流れるなかで、だってこのニュース自体にホッとしてしまうからね。PCの時代が定着して、いずれ本格的なロボット時代が到来するのであろうけれど、その過渡期における一変種というところかもしれない。

ハドソン川に不時着して乗客155人全員生還のニュースに比べれば、コマくもあり、マイナーな感じは否めないニュースではあっても、これがこの時代のニーズにこたえている製品であることは紛れもなく、すぐ飽きて新たな工夫を要求されることにはなろうが、時代はとりあえず「ペコッぱ」も「花っぱ」も必要とはしているわけである。

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2009年01月16日

ニューマンも良かったがマックィーンもねえ。



伝記映画となればスティーヴ・マックィーン('30.3.24〜'80.11.07)を誰がやるか、それが問題だが、いずれにせよ再評価の機運があるともいえるから喜ばしいことだ。ほとんど同時代を並走したといっていいポール・ニューマン('25.1.26〜2008.9.26)とその映画デヴュー「傷だらけの栄光」('56)で唯一共演しているのも奇しき因縁というべきだろう。

50歳という年齢で急逝という感じでキャリアを寸断した感じのマックィーンと、亡くなる前年には引退宣言をしてそのキャリアを自ら終了したニューマンはその死こそ対称的ではあるが、どちらがどうという以前に、ふたりは大いに似た傾向の代表作を仕上げていっているのである。
ともにカー・レーサーでもあったこともそのひとつ。カー・レースの作品が当然双方に散見される。良き意味でライバルのようにファンには見えていたのではないだろうか。

「大脱走」('63)に「暴力脱獄」('67)、「シンシナティ・キッド」('65)に「ハスラー」('61)、「ジュニア・ボナー」('72)に「ハッド」('62)、「華麗なる賭け」('68)に「スティング」('73)、青春時代には孤独というテーマが大きいもののひとつだが、マックィーンとニューマン、相互にその成功作を参考に、俺がやるならこうだ、というところを示して刺激しあってもいたと思えなくもない。

もちろんその個性は重なる部分もあり、微妙な味わいで異なる部分もあるわけだが、このふたりの映画を青春時代に持つと持たぬでは、天と地の想いがするのも確かなことではある。
亡くなってから知ったのだが、「ネバダ・スミス」('66)で共演したスザンヌ・プレシェットと以後、兄貴分みたいな関係で、長く交遊も続いたというから、「恋愛専科」('62)を知る者には嬉しいときめきではあった。
はたして伝記映画はどんな味付けで仕上がるのだろうか。

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2009年01月14日

いよいよ断末魔の終章が近づいてきたかしらん!?!



もはやこれまで、そういつまでも執着できるような政党ではないよ、自民党は。自民党と渡辺喜美元行政改革担当相とを並べて、どちらに理があると問えば、どう逆立ちしても渡辺喜美氏の方に軍配ということじゃないの。鳩山某の「さびしい離党」をはじめ自民党の中枢の感想を聞くと、とことんドーン感でさびしい唯々諾々のご感想、この政党の救えない体質を知るばかりやし。

もう政権を維持していることさえその日持ち、賞味期限を超えて、政権を保持すること自体に、もはや理は感じられないことが周知の事実と化していることさえ、この政党はドーン感に認知してないようだし。いやはや。
しかも今政権を投げ出して選挙などすれば確実に負ける、ということだけは、きわめてビーン感、そのためにのみ政権があるというのも見えみえ見栄(?)これだけ国民に遊離して存続する政府というものの、意義ってある?というところである。

その意義こそ渡辺喜美氏の離党がそのひとつだろう。
このドーン感に相も変わらず枕を並べているようでは奴隷にふさわしくても、節操を持つべき政治家の器とはとても信じられないことだし、まあ日和見に5メートル範囲のおのれの状況に汲々とするだけの輩と見てよいだろうなあ。内部崩壊が始まっているというのに、いやいやもう骨組みだけ、それぞれの派閥がどう出処進退をはかろうかと、手ぐすねも引いているようにも見えるから、この政党に国民は置き去りやねえ。

こうまで感覚のマヒした首相となるとはちと予想しきれなんだなあ。
ことばに責任もなければ展望もなく、その時々右顧左眄、すべて後追いの糊塗糊塗糊塗の言動、観ている方も辛いわ。かといって民主党もイマイチやし、もう政党への信頼など持つのはやめて、ひたすら個人、そのそれぞれの生きざまだけが判断基準かも知れなくなってきたから、政治の地鳴りとしてはエエことかもしれん。
でもなあ、地方の選挙は団体でうごめくからなあ。別の心配もある。そのあたりから本当は激変してほしいけどなあ。

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2009年01月12日

中止と聞いていたけど授賞式?



アカデミー賞を占うとも言われるゴールデン・グローブ賞、授賞式は新年の華ですから、華の中の花を写真33葉(日本における有名女優は少ないですが)の中から、元気はつらつ新年の華をピックアップしてみました。お好みはほかにもおられるかもしれません。なにしろ授賞式会場は女優さんの晴れ舞台、花々の競演、日本のアカデミー賞などあまり賞には興味がありませんが、女優さんは大いに発見できます。見どころありそうな女優さんはこんなにいるのになあ、という感じです。

米脚本家組合や米映画俳優組合ストライキで中止も懸念されていたのに、どうやら妥結したのかしらん、詳報はわかりませんが、おめでたきことではあります。ストライキは書くのや出演を辞めればいいだけでお祭りを拒否することもないのに、というのが偽らざる感想ではあります。
ゴールデングローブ賞とは、「ハリウッド外国人映画記者協会」に所属する会員が、投票により、毎年1回決定される賞ですから、膨大な数の会員が投票するにしてもアカデミー賞が業界内の表彰であるのに比べ、ゴールデングローブ賞は約100名前後の投票であるとはいえ、客観性はこちらにありとはひそかなる筆者の声なき声。

だって出演者みんなが投票権も持ちますから、出演者数の多い方が限りなく優位なのがアカデミー賞ともいえるわけです。まあそれだけではないからこそ権威もあるわけですが、賞狙いのそれなりの対策も立てやすいこれまでの受賞作品たちではあるのです。
その点いささかの交流はあろうけれどもゴールデングローブ賞は部外者の映画鑑賞の結果ですからね。外国人も混じっているようですし。
さらにはアカデミー賞と違う点として、作品賞・主演男優賞・主演女優賞にそれぞれ、ドラマ部門と、ミュージカル/コメディ部門の2部門があるということで、ジャンルが分かれるだけ受賞作品、受賞俳優も増えることとなります。

何れにせよ授賞式と言いながら発表はまだTV部門のみ、日本でも知られる名前ではドラマ部門主演女優賞グレン・クローズ(「Damages」)というところでしょうか。
映画部門の主だったノミネートは、
主演男優賞(ドラマ)
レオナルド・ディカプリオ(『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』)ショーン・ペン(『ミルク』)ブラッド・ピット(『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』)フランク・ランジェラ(“Frost/Nixon”)ミッキー・ローク(“The Wrestler”)
主演女優賞(ドラマ)
アン・ハサウェイ(“Rachel Getting Married”)アンジェリーナ・ジョリー(『チェンジリング』)メリル・ストリープ(“Doubt”)
クリスティン・スコット・トーマス(“I've Loved You So Long”)ケイト・ウィンスレット(『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』)
主演男優賞(コメディ・ミュージカル)
ハビエル・バルデム(“Vicky Cristina Barcelona”)コリン・ファレル(“In Bruges”)ジェームズ・フランコ(“Pineapple Express”)
ブレンダン・グリーソン(“In Bruges”)ダスティン・ホフマン(“Last Chance Harvey”)
主演女優賞(コメディ・ミュージカル)
レベッカ・ホール(“Vicky Cristina Barcelona”)サリー・ホーキンス(“Happy-Go-Lucky”)フランシス・マクドーマンド(『バーン・アフター・リーディング』メリル・ストリープ(『マンマ・ミーア!』)エマ・トンプソン(“Last Chance Harvey”)
ですが、いずれもこの時期では未輸入、受賞非受賞が未輸入との分かれ目というのもファンには悲しい現実ですね。

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2009年01月10日

もっとも不快と思える発明品、もって瞑すべしかもね!



英国紳士には、だいたいカラオケは似合わないよね。
似合わないことこそ誉れあれ、というところかもね。しかし、ここに並んだ<発明されなければよかったのにと思うものは何か>の、いずれもが限りなく日本人愛好のものというのは英国⇔日本の価値観は対極、ということなのかも。

せいぜい目覚まし時計は寝坊習慣には悪逆非道で、共感の向きも多かろう、ということだが、24時間のスポーツチャンネルなどスポーツに限らずテレビを24時間放映していること自体、ヨーロッパでは狂気の沙汰だろうから、大いに納得。
テレビゲーム機や携帯電話についても、このコマイ、セコイ機械はつくづく小うるさいと感じているだろうし、スケール感のないところはゴルフなどを例にとっても、日本の巷で行われているゴルフは賭けマージャンの野外版というだけやないの。電車内でピコピコのテレビゲーム、前も見ずにらめっこで突進してくる携帯電話、いずれも迷惑至極、美的とはとてもいえぬだろう。

カラオケなど、筆者のやるようになったのは、歌わないとワカると嵩にかかって指名が来るせいで、猛特訓、すぐさま持ち歌50曲超えを果たしたが、歌えるとワカると途端に指名も無くなる悪趣味、それに歌手になるならともかく、なにごともそこそこ上手いことなど秘すれば花なれかし、日頃大っぴらにすべきことでもない。
それにこの宴会芸のひとつ、宴会も佳境となり、酔っ払いも増えてくると、誰も聴いていないわけで、ただの喧騒の一つのアイテムでしかない。まあせいぜいカップルでお楽しみください、というくらいのシロモノ。

すべてこういう自覚があればまだしも、みんながやっていることにはすぐ無反省になるのが日本の悪しき特性、この英国の<もっとも不快と思える発明品>、もって瞑すべきかも。
同じ島国でも、生活を嗜むことにかけては、どう見ても英国の方が上級、ヨーロッパ諸国何処にも負けるかも。コマイ、セコイところから脱却しないと、人を羨むばかりの人生になってしまうと思うよ。

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2009年01月09日

結婚も、離婚も、人類だけが続ける蛮行である!



またも結婚⇒離婚のトラブルや。
もはや結婚も半壊している制度と筆者などは思うから、離婚トラブルのたびの争いごとも多種多様。先頃の住んでいた家を真っ二つに切ったのもよーやるなあというところだったが、今度は移植した腎臓返せ!とは、これまた新種の驚き。

ハニー・ムーンもいずこにすっ飛んで行ったか、いまや恥ずかしきあの頃のこと、となるような別れ方をしないのが別れの鉄則かと思うが、諸般の事情で離婚に至らぬまでも、もはやとことん離れ離れの心地の夫婦は、既婚者の半分くらいはいるのではと、こと結婚については極めてペシミズムに満ちていると、こんな離婚ならエエなあと思えたのは、近頃ではマドンナの離婚くらいか。

醜くなる争いのポイントはいつも財産分与、金の切れ目が縁の切れ目なのははっきりし過ぎてギトギト、いっそマドンナほどの大金持ちでなければ結婚も虜囚と同じ、夢を持つのは発情期の専売特許なのかもしれない。と想うのだが、老いも若きも懲りずに再婚する。

まあ夢を持つのはそれぞれ勝手、好きにして!というだけのことだが、これほど夢破れて悲惨なものもない。独りで生きるのは寂しいという定理みたいな社会の無言の理も見え隠れするせいかもしれないが、一人だろうと二人だろうとさびしき時は寂しいのである。
さびしき心の迷いのままに結婚すると、たいがい数年後にこんな離婚トラブルが待機していると思えば、桑原クワバラ避けて通るはウェディング・ロード、ところも品も変えてイタし続ける王道とは?

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タグ:結婚 離婚
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2009年01月08日

一番困るのは鈍感なおとなのことば?



幼年時代に性的・肉体的・精神的な虐待や二グレクトなど、トラウマとなる経験をしたことがあると、そうしたトラウマは、成人後に慢性疲労症候群になるリスクを6倍高めている。
いやいや、疲労だけではない、いろんなリスクを伴って、そのトラウマは大きく人生そのものにも影響する、というべきだろう。

よくテレビなどで、「親の悪口を言う奴にろくな奴はいない」という、いかにももっともらしいことを言うのがいるけれども、こうした環境にいる子供たちに、実は、実に心無いことばなのである。
そこから逃れるすべもない幼少の身にあっては、親の悪口以前に、鬱屈せざるを得ない状況でこのことばほど能天気に感じられることばもないだろう。もっともらしく賛同を得られやすいだけに、罪は深いのである。

常識のウソというものにもよく似ているが、もともと常識とは多数派のセオリーであって、少数派の存在を無視してこそ大手を振って成り立つ原則であるから、幼少のトラウマなどハナから視野にはない。例外というべき家族環境に過ごす少年少女はいつも限りなしなのである。
そして学問の存在価値は、こうした一般に目を向けられることのないところに照準を当てるところにもあって、この研究結果をもっていささか日頃のストレスが解放されるようなら、効能倍増ということかもしれない。

もうひとつ能天気なことばもある。「同じ環境なのになぜおまえだけが」という奴である。もともと同じ環境ということなど受け手が違う限りあり得ないことで、理想の環境でもない限り、そのことばにもデリカシイは無い。おとなの鈍感、限りなしかもしれない。
幼少の身には心無いおとなのことばが牙となって襲いかかる。あまりに傷つきすぎた幼少の身が、成人となれば自らが牙とも成り得るのである。
いつまでも幼少のトラウマから脱却できないのも困るが、おとなのことばの心無さもさらに困る、というわけである。

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2009年01月07日

ハードはどんどん進化して最強なれど、ソフトは多彩?最弱?



テレビは、家電の王様かな。
特に日本はテレビ隆盛では有数の国家、テレビが国家か国家がテレビかというようなもの? むかしSFで夢見られた壁テレビも、もうすっかり現実のもの。その映像の鮮明度は映画を観ても、映画館の鮮明と比肩できるものとは相成った。

こうして最薄争いもいよいよ佳境。携帯より薄いというより、携帯ももっと薄く余計な機能もカットしてもらいたいようなものだが、そちらは迷惑家電なのでまあどうでもいいや。
テレビは映画の受像機としてのみ進化すればいいとさえ思っている筆者だが、あとは5.1チャンネルをおのずから果たす音域の問題かもね。

あとは受像機以上にソフトである映画のソースがハリウッド中心というのが一種のファッショ、ヨーロッパの方が美女も多いし、作家性の色濃い作品もあるはずだから、その隠れたというより、ハリウッド・カーテンによって隠された名品を発掘する、以前の東和のような存在が欲しい気がする。

だってね。「暗い日曜日」のエリカ・マロジャーン、ご存じ。
彼女の出演作品、これ1本しか日本にいると観れないんだよ。
あるいは「レオポルド・ブルームへの手紙」のメヒディ・ノロウジアンなんて名前もほとんどがご存じないうえ、データさえないのって淋しき文化果てる文化国家なんよ。ハードが進化しても、ソフトが似たようなメンバーのヴァラエティばっかしではね。

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2009年01月06日

組織の毒を受けにくいスポーツ選手ですら!



F1そのものにはさほどの興味はないが、スポーツの世界でよくささやかれる権力の集中の弊害はよく目にするところではある。
発言者がジャッキー・スチュワートというプレイヤーであることにも注意を惹かれる。大体その世界のプレイヤーはもの言えば唇寒しで、沈黙を守るのが大勢、スポーツに限らずすべて組織に属すると、従属的に感性を磨滅していくことがまことに多いこととなる。

組織の中枢がいつまでも同工異曲では、組織はほとんどミイラ化、ほんの一部の利害だけで事が運ばれるのは人類の組織の常。組織にだって空気清浄機も、イオン抽出作用だって、淀みを生まないための仕掛けは日頃から必要なのである。
が、そんな組織は逆にほんの一握り、むしろ一部の利権最優先で運用されていくのが大方の例だろう。F1の例のようにもはや一人でも圧力団体が成立するようになっては、誰も抵抗しきれぬというわけである。

これを防ぐ方法は在るようでありながら、機能しないのが通例。それもこれも目先の利権にことごとく人間は捲き込まれるからである。
スポーツ選手などまさしくそういうゴタゴタの埒外にいられる数少ない職業ともいえるが、大きなスパンではそうも言っていられない、こんなF1の例ということだろう。
まこと人間とは権力の誘惑に癒着しやすいイキモノなのではある。

年齢制限をすればよいというものでもなし、せめて在任期間の制限を設けるくらいのことだろうが、それおしも院政という隠れ蓑もある。どこまでいってもそこに甘い蜜の在り処を知る限り、人類は組織の毒をついばむものであるらしい。
あゝいやだと、組織を逃れられるはずのスポーツ選手もまたその網目から逃れられるものでもないらしいが、さらに弱肉強食の世界は階層をダウンするごとにその凄まじい被害の度を加えていく。それが表面化する例はさらにか細くなりながら……。

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2009年01月04日

ホールデン・コールフィールドはいまいずこ?



サリンジャーが90歳とはねえ。孤高の隠遁作家と呼ばれ、猫も杓子も有名になりたがる中で、その名さえ疎んじた無名性の輝きを刻印し続けた作家、短編「コネチカットのグラグラカカ父さん」も記憶に深い。
その映画化が全く気に入らず映画嫌いで、世界的出世作「ライ麦畑でつかまえて」は映画化を許可しない。

少なくとも「ライ麦畑でつかまえて」は、生きているうちに読むべき本の1冊と言えるだろうから、この思春期の心のヒダ襞を鮮やかに描いた名作を読むと、この作家のひきこもりともいえる変人ぶりもいささかは理解できるに違いない。

このサリンジャーですらというべきか、サリンジャー故にこそというべきか、高校を1年で退学処分になったことを考えると、俗物教育なにほどのものぞと言う勇気もわく。所詮、少数派にしかすぎなくとも、その孤塁を実に丹念に死守するような生きざまは、現代にもなお忘れられない心映えだろう。

1965年に発表の「ハプワース16、1924年」が最後の作品だから、実に44年間作家とも言えないわけだが、おそらく書き溜められた草稿が必ずあるはずだから、それが死後もし発表されることがあってもファンたちはもう追いつけないかもしれない。
いずれにせよこの作家の、好んで描かれた社会に出る前の十代の心映えが、後半生でどんな色どりを添えられたのかは、大いに興味の惹かれるところではある。
ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー、村上春樹の訳者解説を拒否し、2メートルの塀で外界を遮断する作家、故にこそそのデリカシイも根深く残照の美を輝かせているのだろうか。

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2009年01月03日

革命のない日本には革命50周年、はるかな響きだが……。



革命50周年、日本にはない響きやなあ。
フィデル・カストロもチェ・ゲバラも遠くなりにけり、ということでもあるな。共産主義が嫌いでも、このふたりには何か人を惹きつけるものがあったなあ。若者は本来からいえば革命を志向してこそ若者やからなあ。今の世界を是認していては若者の存在価値にも反するというものや。

もともと共産主義志向の革命ではなく、むしろアメリカとの対立がソ連との共闘を呼んだといってもいいし、革命もまたその時代と世相に無縁で始まるわけでもない。こうして50年も経つとその熱気も流れも途絶えて、あれこれの客観的な見方が出てくるのもある意味やむをえぬことかもしれない。革命など、今はこの時これ以外は無い、という想いで突っ走らない限り、成就はしないものだろう。

個人の人生だってそうだ。一生を通しても、その節々、慣れ親しんだ環境だけで事を進めるよりも、自らが選ぶ決断と意欲で環境を変えてしまう、それが吉と出るか凶と出るかそれさえもわからぬままに決断を迫られる選択の時がある。いや、むしろそんな時をいくつか経験するとしないとでは、やがてその選択力にも差が出てくるといえるのではないだろうか。とにかく人間、変革に強いか否かは、大いに分水嶺となるのだ。

それにしても'62年のキューバ危機、フルシチョフとケネディ、そしてカストロの位置関係を観てみると、先頃の佐藤栄作元首相の発覚した発言と同じ願いをソ連に拒否されたカストロの想いも、いずれ日本とさほど遠くはないとも思えてくる。
こんなあれこれを照合しなおすと、日本もまたアメリカ陣営に唯々諾々といるだけでは埒もあかない、パワーポリティックスの倫理もほの見えてくるというものではある。
まこと個人であろうと国家であろうと、いかなる粘り腰をつちかうかも、生きながらえる道ではある。

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posted by キャッツ・アイ at 11:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 政治

2009年01月02日

気分一新、新年は小さな区切り、区切りも心にあってこそ!



明けて新年2009年、さあ不況風どうなる?ということだけれども、いずれにせよ年が変わり一両日くらいは世間も活動を休止するところも多く、気分一新、新年おめでとう、ではあります。
カウントダウンの花火も各地で打ち上げられ、新年を迎える行事は華やかで一年を通じて最も心改まる行事ではあります。

しかしその花火で死傷者も出たというニュースもあって、それでは元も子もなしやないかと、悲喜こもごもは人類の常なのではありましょうか。
でもお屠蘇を口にし、おせちをつまんで、予定を造らぬ一日も時にはイイものではございます。暗いニュースもいっとき忘れて、日々新たなりの心地で過ごしたいものではあります。

と、自らにも言い聞かせるように、こんな世界各地の花火の数葉を眺め、世界も同じ想いであるかと、勝手に納得するのもお正月ののどかな気分であるからこそなのでしょうか。
仕事を失い、住処も失った人もいることを思えば、申し訳ないようなものではありますが、とき移り時変われば、どんな不遇も、どんな不幸も、遅々とではあるかもしれませんが、なにほどかの光明も見出せないものでもありません。

すべてをあきらめてすべてを停止してしまうからこそ、すべては沙汰やみになるもので、たった一つの光明もアクション!あればこそではあります。これまた自らにも言い聞かせることわりではありますが、ひとつあればとりあえずは充分、それが二つになり三つになるからこそ、人生も妙味というものではございませんでしょうか。
レット・イット・ビー! アクション!ではあります。今年もまた。

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posted by キャッツ・アイ at 04:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | ライフ

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