2008年07月09日

生きものを装飾品にする、人間の傲慢に無感覚な似非ゴージャス!



ペットのいる意味合いは人それぞれでいいのだろうが、こういう可愛がり方が果たしてペット自身にとってゴージャスか、むしろ飼う側の自己充足以上ではあるまい。それもひとつの意義と言えば言えるのだろうが。

筆者などはペットに服を着せたりするのはクリスマスくらいにして、普段はその野性をこそ愛でたいクチで、文明の毒はできるだけ遠ざけたいのが基本で、何でもかんでも人間と同じにしたからと言って、ペットが幸福とは限らないし、ゴージャスというのも人間の感覚、ごほんワンは迷惑至極の公算が高い。

唯一、清潔綺麗にするところくらいが共感できるところで、その費用があったとして同じことをしたいとも思わない。パックまでするようでは野性の滅亡というものである。自然治癒力などというものも、過保護にすればするほど失われる。
まあお墓をとことん立派にするのと同じで、死んだ本人にはあずかり知らぬこと、ごほんワンの個性とは全く関わりのない飼い主だけの自己満足、想い出づくりのようにしか見えない。

まあペットをステイタス代わりにする社会構造でのみ有用なことではあろうが、これもとうていわが趣味ではない。
たださえ疑似野性、人間自身にはとことん失われている野性の、その憂き目をペットにまで味あわせたくはない。異種が共に歩み寄れるその至福感もこれでは台無しであろう。

人間というのはどんなカタチででも傲慢になれる、その証左と言ってもいいかもしれない。無くてはならない装飾品という把握だから、もはやなにおか言わんや、ではあるが……。
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posted by キャッツ・アイ at 09:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会
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