堀江氏有罪、その求刑が重いか軽いかはさておいて、「日本は世界で最も共産主義的な国」という一節にはかなりの共感は持てるのではなかろうか。もっとも成功したそれということも含めて。
いささかもそれを感じないとすれば、むしろその恩恵の内側に居るというそれだけの理由だけではなかろうか。
それに「日本は、共産主義国家が陥りがちな落とし穴にはまってしまったのだと思う。つまり、エリート官僚が、国民にとって正しいこと、最も重要なことを決める国になってしまった」というような発言も、いささか判決を不利に導く公算は、大いに、大であるだろうと感じる。
これは永く日本社会に生きてきて単純に感じることで、大した他意はないが、要は平等のように見える日本の平等は多く悪平等であるということである。これを証左して行くには本一冊を書く質量が必要だろうが、どだいその平等信仰には日頃恐れ入ることが多い。運動会で順位を拒否したりすることもそのひずみのようにも見える。
例えとして格好は扶養手当、などというものである。
この恩恵にあずかっていてもそれっぽっちにしか感じない恩恵ではあろうけれど、多寡の問題ではない。扶養というのは自らの器量で選ぶことで、他人がこれをどう評価するかなど、ある種の侵害行為である。
子供が2人だろうが3人だろうがその個人の人生計画、コレあるために正当な業務評価がなされないというのがこの悪平等の結果である。
つまり、これっぽっちの副収入など業務の器量で稼ぎ出せるという給与規定がこの裏側には無い、ということをこれは示している。
そんな手当てを必要としないで稼ぎ出せる給与規定こそが実力主義なのだ。ぬるま湯温室に居ると気づきもしないが、この奇妙な序列主義は実に数々他にもあるが、慣習として定着すると、まず見直されないのが日本式悪平等共産主義だろう。
「年功序列主義のエリート官僚や、メディアという名の“マインドコントローラー”は、私のように実力で戦おうとする人間を憎んでいるのだと思う」
たぶん堀江氏の真意は、こうした構造的実力主義拒否体制にあると思うが、どうであろう。
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