政治が絡むとたいがいうっとおしくなるけれども、ひとたびそれが歴史がらみとなると、様相は一変する。鯨問題では何かとかまびすしい日本との軋轢だが、流刑地オーストラリア、真のオーストラリア人とは先祖に流刑者を持つものとは、なかなかディケンズじみていいね。ディケンズ自体がその歴史を踏まえて物語を造成していったということでもあるけれども。
しかも首相の先祖が路上生活児で窃盗もやり、それが人気凋落でなく人気上昇の素因ともなっていると聞けば、ほほゥ!エエ話!かも、と耳をそばだてたくなるのは、天の邪鬼のアンテナにフィットするから?
というのもとかく功成り名遂げてしまうと、出来合いのサクセスストーリーじみた綺麗ごとに終始する伝記などを仕上げ、額縁に収まりたがるご仁が後を絶たないからだが、正直家系にも暗部があるのが永い歴史というものであろう。
都合のいいことだけを喧伝するのが政治なら、それを取り込むのも政治だから、これも政治のシワザと思えなくもないが、ディケンズを彷彿とさせるお話となれば、厳しい目線も和らぐというものである。
オリバー・ツイストの血筋に、そうは薄情にも出来ぬだろう、というわけである。
現在オーストラリアでは、国の発展における彼らの役割が、反抗的誇りをもって見直されている、
――という土台と時の流れがあるわけで、人に歴史ありと同じように国に歴史あり、なのではある。
国といえば永遠のように思いがちだが、なにもイスラエルを持ちだすまでも無く、イタリアだって厳格には現在のイタリアとなって60年ほどを超えたばかりなので、ローマ帝国と1直線でそこに在るというわけではない。
人はみなオリーバー・ツイストであり、或いはジンギス・ハーンかも知れぬのである。
それが国ならばなおのこと。
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