むかしのことには興味が無い!若者が増えているというが、これは今に始まったことではない若者の特性のひとつではあるだろう。
けれども、アメリカと戦争をしたことすら知らない、となるとオイオイ大丈夫かいと危惧を持たざるを得ないのも一面ではある。
考えてみれば現在の若者の知るアメリカはルーカス、スピルバーグ以降のアメリカ、或いはカラーテレビが各家庭に完全に普及しきったあとの世代と言えるわけで、いささかチャイルディッシュな様相を示したところでいたし方も無いのかもしれない。
キャプラも街頭モノクロテレビの人だかりも知らないということは、飢餓や渇望や貧困を知らないと同義と言ってすらいいことだろう。
いやいや、渇望くらいはいつの時代にもあって、思い通りになどならないのが世界というものだから、あの終戦時に敗戦を無念、受け入れがたき事態と、東条英機が感じていたとして少しも不思議ではない。
これは無差別殺傷に至る若者だって、そこに至るまでに追い込まれたと思い、自らの願望の断念を感じるわけだから、人は何らかの渇望の生き物なのである。
原爆を2発落とされてその犠牲が身に応えないことはなくても、なおそれまでつちかってきた信条信念を丸ごと否定し去る事態に、東条英機ですらとても耐えざりし、ということではないかと、なお戦争継続の意思を持っていたというニュースを知ってもさほど驚きはしないのである。
丸ごとその存在を否定し去る事態に人がその先を生きる望みをつなぐのは、これまで通りの信条信念にすがるしかないからである。
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