敗れはしたとはいえ、18歳。
肉体のピークはそれぞれの個人差があるとはいえ、ハイティーンのそれは掛け値なしの無駄なき肉体のピーク。自意識さえ無駄にもなる肉体それ自体が自らをも超えて頂きにあるピーク。
おそらくさらに齢を重ねてこの時間を錦織選手が振り返るとき、奇跡にも似たその時間の純一性をまざまざと思い浮かべるだろう。技術はなおハイレベルに到達しているであろうとも、この2度とは帰らぬ純一な自らの肉体の感性を持って闘った、全米オープンのその時のこだまにも似た感触を。
相手のアルゼンチン、ファン・マルティン・デルポトロ選手もまた19歳。キャリアは既に1日の長があるのであろうけれども、2008年夏、全米オープン8強入りも含めて、ともに十代の峻烈な、疲れを知らぬ闘いの記憶を刻んだそのときの時を、これまた同様に2度とは還らぬ充全にしてかけがえのない一瞬の夏をいつか想い出すに違いない。
さらなるテクニシャンとして、さらなる強豪として、やがて互いに大成を果たす時が来ようとも、この夏、この日、この十代の肉体が刻した時のときは、やはりもはや同様な感触ではよみがえりはしないのである。
はるか永きを生き過ぎたそれを知る者にとってこそ、この十代同士の、たぐいまれな輝かしき価値を、脳裏に焼き付けてしまう肉体の鮮烈さなのではある。疲れているように見えながらもそれを跳ね返す肉体の俊敏の前では、技術はゆっくりとその後を追うくらいのことしかできないのである。
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