2009年01月03日

革命のない日本には革命50周年、はるかな響きだが……。



革命50周年、日本にはない響きやなあ。
フィデル・カストロもチェ・ゲバラも遠くなりにけり、ということでもあるな。共産主義が嫌いでも、このふたりには何か人を惹きつけるものがあったなあ。若者は本来からいえば革命を志向してこそ若者やからなあ。今の世界を是認していては若者の存在価値にも反するというものや。

もともと共産主義志向の革命ではなく、むしろアメリカとの対立がソ連との共闘を呼んだといってもいいし、革命もまたその時代と世相に無縁で始まるわけでもない。こうして50年も経つとその熱気も流れも途絶えて、あれこれの客観的な見方が出てくるのもある意味やむをえぬことかもしれない。革命など、今はこの時これ以外は無い、という想いで突っ走らない限り、成就はしないものだろう。

個人の人生だってそうだ。一生を通しても、その節々、慣れ親しんだ環境だけで事を進めるよりも、自らが選ぶ決断と意欲で環境を変えてしまう、それが吉と出るか凶と出るかそれさえもわからぬままに決断を迫られる選択の時がある。いや、むしろそんな時をいくつか経験するとしないとでは、やがてその選択力にも差が出てくるといえるのではないだろうか。とにかく人間、変革に強いか否かは、大いに分水嶺となるのだ。

それにしても'62年のキューバ危機、フルシチョフとケネディ、そしてカストロの位置関係を観てみると、先頃の佐藤栄作元首相の発覚した発言と同じ願いをソ連に拒否されたカストロの想いも、いずれ日本とさほど遠くはないとも思えてくる。
こんなあれこれを照合しなおすと、日本もまたアメリカ陣営に唯々諾々といるだけでは埒もあかない、パワーポリティックスの倫理もほの見えてくるというものではある。
まこと個人であろうと国家であろうと、いかなる粘り腰をつちかうかも、生きながらえる道ではある。

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posted by キャッツ・アイ at 11:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 政治
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