F1そのものにはさほどの興味はないが、スポーツの世界でよくささやかれる権力の集中の弊害はよく目にするところではある。
発言者がジャッキー・スチュワートというプレイヤーであることにも注意を惹かれる。大体その世界のプレイヤーはもの言えば唇寒しで、沈黙を守るのが大勢、スポーツに限らずすべて組織に属すると、従属的に感性を磨滅していくことがまことに多いこととなる。
組織の中枢がいつまでも同工異曲では、組織はほとんどミイラ化、ほんの一部の利害だけで事が運ばれるのは人類の組織の常。組織にだって空気清浄機も、イオン抽出作用だって、淀みを生まないための仕掛けは日頃から必要なのである。
が、そんな組織は逆にほんの一握り、むしろ一部の利権最優先で運用されていくのが大方の例だろう。F1の例のようにもはや一人でも圧力団体が成立するようになっては、誰も抵抗しきれぬというわけである。
これを防ぐ方法は在るようでありながら、機能しないのが通例。それもこれも目先の利権にことごとく人間は捲き込まれるからである。
スポーツ選手などまさしくそういうゴタゴタの埒外にいられる数少ない職業ともいえるが、大きなスパンではそうも言っていられない、こんなF1の例ということだろう。
まこと人間とは権力の誘惑に癒着しやすいイキモノなのではある。
年齢制限をすればよいというものでもなし、せめて在任期間の制限を設けるくらいのことだろうが、それおしも院政という隠れ蓑もある。どこまでいってもそこに甘い蜜の在り処を知る限り、人類は組織の毒をついばむものであるらしい。
あゝいやだと、組織を逃れられるはずのスポーツ選手もまたその網目から逃れられるものでもないらしいが、さらに弱肉強食の世界は階層をダウンするごとにその凄まじい被害の度を加えていく。それが表面化する例はさらにか細くなりながら……。
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