2008年04月18日
時には存在を超える存在に想いを巡らすのも夢想の跳躍力の練磨!
存在そのものを直接観測することができないのに、存在を確認されるブラックホールとは、その存在自体がいかにも超絶技巧じみて、宇宙的感触に溢れる。
いわば端的には星の墓場と言っていいものだが、幾多の星を抱えながらその穴自体は膨らむこともないというから、増殖しつつも凝縮している、言葉としても成立しがたいほどの存在である。
いやいや、存在という概念そのものがブラックホールの前では形骸化してしまうようなものなのだ。『時空の他の領域と将来的に因果関係を持ち得ない領域』とは、恐るべき孤独の極―――孤独という言葉が叙情的であり過ぎるならむしろ酷薄の極の極、ということかもしれない。
そう感じ取るならば、この存在自体がどうも人類の黙示録染みて見えてくる。数学的にはその真反対の放出し続けるホワイトホールというのが都合よくも在るらしく、ブラックホールとホワイトホールは一方通行のワームホールで繋がってい、脱出できないはずのブラックホールからの
ワープも可能だという理論もあるというから、ますます混迷の人類の相似画にも見えてくる。
しかし収縮したものが脱出できたとして、その姿はいかなることとなっているのか、これも怪の怪、議論百出、あまり希望も見出せそうにもない。ブラックホールという存在が希望なのか絶望なのか視点にもよろうが、この宇宙からさえアウトドロップできる存在というのは、極めて意志的、家族をも拒否してお宅的に生きるひ弱なひととは外見だけは似ているようで、その凄まじさも自己確立も比類がない、と感じるのは筆者だけだろうか。
愚かしいことを続けるうちにやがて地球も、その幾多の星屑と同じに吸い込まれて影カタチをなくす、ということであろうか。
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