タトゥーの世界大会が西洋で開かれるというのも、西洋のタトゥーへの視野がどこか東洋の神秘の範疇に在るせいだろうか。そして、それが文字通りのアートとしての視野も持つのも、エキゾチズムから純粋培養的に救い上げられた視野と感じるのは、あながちうがった見方でもあるまい。
タトゥーなど堅気の人間のすることではないという、まずモラルが壁となって、そのアートとしての視野はどこか隠微で閉塞的な世界に閉じ込められていたのがわが国の実情で、あまりに堂々とその美を競うという観念がむしろ逆輸入のようなことではないかと思われる。
なにしろタトゥー好きな著名人はあれこれいて、最近では全身のそこかしこにタトゥーを入れ、愛好のほどなまなかでないハリウッド女優アンジェリーナ・ジョリーなど、なんとも恬淡としたタトゥー好きで、マニュキュアをするように、タトゥーの上にタトゥーを上塗りもする躊躇の無さである。
これはまさにタトゥーに対する根本的或いは本質的、そして生理的な違いと言ってもいいのではないだろうか。
マニュキュアよりもさらに幅広く変化にも富み、そのヴァリエーションの深さにも芸術の奥義のごとく対し、純然たる美の結晶のごとく観る視野は、西洋からタトゥーを観なければ備わらないものではないか、と思えるほどである。
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