被害に遭われた方は本当にお気の毒、バカにつける薬はないので、続けてこの事件を対象にするのもアホらしいのですが、それでも現代を象徴する事件には違いないので、コンニャロメの病症を考えてみることといたしました。
まずすぐ浮かぶ言葉は他力本願――どうしたらこういうのが生まれてくるかといえば、とことん甘やかされて育つか、とことん虐げられて育つか、その二つにひとつだろう。少なくともその二つの要素がちりばめられていることは間違いがない。
少年時代の環境がいかに悪くとも良くとも、25歳にもなったら、環境との決別の内なる闘いがあってしかるべきだが、どうもそれがない。闘ったところで決別しきれるものでもないが、そういう姿勢に根差す活動というのを多くの人間が青春期を超えて、するからなんとかもなるのだ。
細工だけで巧くいくという感覚と同じだから、これはもう嫉妬でしかない。まして細工だけで一時期上手く言ったように見えても、永いスパンではほとんどそんなことは淘汰されるものなのだ。
若き美人がいつのまにやら詐欺女と化すのもよく見かける事件、若き時はせっかちだから、早合点しがちだけれども、不細工に輪をかけて、感覚が不細工では自縄自縛というものである。
例えば学校でトップクラスであろうが、実社会でそれが有効なのはせいぜい選りすぐりのエリートであってこそ、中途半端に頭が良いくらいで世間の荒波は泳ぎきれるものでもない。いかに自らに付加価値をつけて行くかが勝負で、その土俵に上る前にコンニャロメは敗退宣言をしているような感覚である。
できないならできるような算段をする、人権はいかに多くの民族がその歴史の中で闘い掴み取ってきたものか、棚から牡丹餅は在り得ないのが人権なのだ。
彼女や彼氏ができないからこそ、そのコンプレックスを梃子に大いなる成功を勝ち得て、後半生をモテモテ人生で過ごす人もいる。一切が短絡、同情の余地が無さ過ぎるのである。
同じ状況でも歯を食いしばって、辛くも永き青春を過ごす幾多の人生が在る。
肉体的にはその時期は懐かしいが、精神的心理的にその時期には戻りたくないと思う人間も多いほどの、青春期なのである。
容易ではない時期に、安易な決断をして、決着をつけてしまっては、勝敗のめどもつかないこの先の闘いに参加するなど、オリンピックに参加する以上に難しいのである。

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posted by キャッツ・アイ at 12:50
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