2009年04月23日

驚きに包まれてこそ、人は生き活きではあるね。



もう充分にこのニュースはよく知られることとなっているだろうが、結局、見かけと歌声とのギャップで驚きの表情を見せる観衆の事前事後の表情の方が、ご本人よりさらに大いなる見もので、これは価値観のクリーニング効果として絶大なものがあっただろうと思う。

ことほどさように見かけだけですべてを判ったつもりになる人間の限界を照射したニュースもマレではある。まあそんなギャップによる快感も実は人間にはあって、二重の相乗効果をこのスーザン・ボイルさんは我々にもたらしてくれたということになる。

歌う前は本人の希望がまるでそぐわず失笑さえ漏らした観衆も、ひとたびその歌声を聴くやいなや、まことその希望にかなった美声と、瞬時に納得したというのも、説得力に満ちた映像であり、その美声だった。

まるで仕組まれたほどの奇跡とも見える、47歳の中年女性の現実は、しかしその夢がかなう現実ともなるわけで、あきらめず年齢を超えいま在る境涯さえ超えてつかみとる意志さえあれば、奇跡すらも現実、そんなこともはからずして目覚めさせるこれは近ごろ珍しきジャンプ力を携えたニュース!
人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
posted by キャッツ・アイ at 10:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文化

2009年04月14日

成功すれば、時代も変わるかもね。



セグウェイも一般道不可ということであまり見かけなくなり、その想像する利用頻度からみて価格も高価すぎて、商売として普及度もイマイチなんだろうと想像する。

そのセグウェイとゼネラル・モーターズが協力というのは、いかにも不況下のタッグで、マイナス+マイナスをプラスに変える試み、まあ企画としてはよろしい按配じゃありませんか、というところ。

自動車の世界も、もう徐々にガソリンに頼る時代は移行しつつあって、電気自動車は大いなる選択肢のひとつだけど、これ、まだ試作車の段階なれど、最高時速56キロというのが、もう実用的ではないよね。
前でも横でも走っていたら邪魔になるオートバイのそばにいるのはイヤ、というのは自動車運転者の共通心理と思うけれど、それと同じそれ以上の邪魔な存在になってしまうやろうなあ。

せめて80キロは出る仕様にするか、それとも自動車という扱いより自転車ということにして、時速もさらに落とすという方が実用性はあるんやなかろうか。セグウェイと同じ道路事情の壁を解決しないと、単なる変わりヴァージョンに過ぎず、普及とはほど遠いことになって、共同開発の意義が失われることになると思われる。

さあ試作車からどう進捗していくか、それが問題だということだが、オープンカー的な部分は生かし、安全性もさらに留意し、セグウェイの発想をどう道路事情の壁を超えさせるか、自転車仕様なら横幅の問題もあるし、それができたら嬉しい乗物に違いないと思うよ。

人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
posted by キャッツ・アイ at 10:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文化

2009年03月07日

結局南極、どこ吹く風で生きましょ。



チャップリンも遠くなりにけり、ということか。
人情に夢を託せたあの時代、いうことでもある。

それが現代は経済優先で走ってきたせいか、人情は置いてきぼり、その経済も破綻をきたし、人情また紙風船のようにどこ吹く風、の時代。

優しくては生きていけないし、生き急いでは優しくなどしていられない、そんな世界では湿っぽいチャップリンよりキートンの乾いた世界の方がヴィヴィッドではある。

しかしこんな人情また定まらぬ浮世にさらにぴったりなのは、マルクス・ブラザーズだろうなあ。不況の渦巻の中であれこれ悩んだところでやがて竜巻も来る。

どうせならすべてを蹴とばし、身を寄せるいっさいのもろもろを笑い飛ばし、われ歩むところに世界あり、てやんでえ、嗤わせるぜまったくという境地。

聞いちゃいられねえ、見ちゃいられねえ、ニャ〜ンとも寒心するばかりの世界はふっ飛ばし、われ行くところ昴あり、とでもいったアナーキーな心地こそ楽しくも憂き世を忘れる生きた心地ではある。

なーんにも無くともなーんでもあるこの境地、あの'29大恐慌を背景にしたマルクス・ブラザーズが世界を席捲した時代でもある。

心休まるアナーキズムやね。
そやそや、と隣のニャンくんも言うとる。スヤスヤ。

人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
posted by キャッツ・アイ at 10:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文化

2009年02月14日

近隣諸国に範となるべきお国も存在せぬとなあ。



こと政治に関しては、他国を嗤える身分ではないことになる肩身も狭いわが国に居ると、余計近隣諸国に範となる頼もしい政治の国があってほしいと願うが、アジアに住んだが宿痾か、けったい奇矯なことを次々と眼にすることとなる。

だいたいおよそ悪政が基本的に共通するのは、我田引水、わが畑に水を引くことが何をおいても真っ先であること、わが国を例にとるとなによりも自民党の利益優先ということになるわけだ。
先ごろ訪問したイギリスの大学であったか靴を投げつけられたのが中国の首相、すっかり独裁者として認知されていたからだったが、ことの是非はともかく、政治が金集めと取締りしか目立たなくなってくると、およそ国民の反乱か憔悴と、相場は決まってくる。

何を低俗とするかは百論あってしかるべきだが、これもポルノ写真という範疇にしたところで何をポルノと判定するかはこれも百論あってしかるべき、せいぜい当局は劣情を刺激、とか言うわけだろうが、おのれの劣情が刺激されたからこそそれが解るわけで、せいぜい身にエネルギーが満ちたかなとしか思わずその原因が美にあったとて、すべて劣情の視野でみれば見えてしまうものではある。
つまりは、すれ違う美人に一瞬懸想したところで、当局には劣情を刺激、ということにはなるのであって、いっさいは劣情お眼鏡しだい。

ともあれ公序良俗というのは厄介、そもそも人間そのものが公序良俗には極めてふさわしくない生き物なのであるから、まさにアンチテーゼとして、人民服を着たミケランジェロ(Michelangelo)のダビデ像や、同じくミケランジェロ作システィーナ礼拝堂(Sistine Chapel)の天井画のアダムに黒いソックスを履かせ、局部を黒いネクタイで隠すといった画像が多数掲載されもしたのだろう。

今さら芸術かポルノかでもあるまいが、片方が拒否するならもう片方も拒否する、とどのつまりは犬猫に衣服を着せるように絵画にも衣服をかぶせて、品よく劣情を!とやって見せたようなものである。
いずれ当局高官に擬したモデルの劣情を刺激する戯画が巷に氾濫することではあろうなあ。

人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
posted by キャッツ・アイ at 10:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文化

2009年02月12日

驚きもののきの、たぐい唯一の現役映画作家!



この60歳を過ぎてからその映画作りを本格化させた映画監督、それも見事に執念も追求も、あるいは官能も夢想も、ある種きらびやかな作品を観てしまうと、実に稀有な存在であることが解る。

ほとんどの巨匠・名匠といわれるほどの映画監督は、およそ60歳も超えていくと、その体力的衰えに反映するように作品に往年の力がこもらなくなってくることを考えると、マノエル・デ・オリヴェイラの、逆に60歳を過ぎてからその制作ペースもその内容にも観るべきものを含んでいったということは、まさしく奇跡に近いことではある。

それも長寿だけで驚かれているわけではない。なお新作を準備中というのだから、もって瞑すべし、とはこのことかもしれない。
筆者がマノエル・デ・オリヴェイラに感服したのはむしろ遅きに失するくらいの2003年の作品「永遠の語らい」においてであったが、そのメモにこう書き残している。

――内容は端正なまま終局を迎えるかに見えて最後に大きな波乱、と言うのも、歴史学者でもある母とその娘の、地中海周辺にある古代文明の遍歴のように静かでおとなしやかな教養人の旅のようにしか見えない展開が、最後、一気に現代ののっぴきならない時制に放り込まれてしまう作劇は、まこと見事な舞台劇を見るかの印象。
しかも映画がカタストロフィにも大きく身を預ける媒体であることを百も承知のように、それを見せる。

ジョン・マルコヴィッチ(50歳)、歌手イレーネ・パパス(75歳)、実業家カトリーヌ・ドヌーヴ(60歳)、元モデルステファニア・サンドレッリ(59歳)〜いずれも作品製作時の年齢〜の面々。

ポルトガル・仏・伊の合作だが、巧みを隠した脚本もまたオリヴェイラの手になるもので、この破調は見事のひとこと。破調もまた端正であるのはオリヴェイラの作風であろうか。
その乱調に似た大団円に乾杯と、オリヴェイラの他の作品にも食指の動く一作ではある――

と記したわけだが、オリヴェイラから見れば50・60は小僧ッ子、故にこそ30・40はさらに赤児の様子、することも児戯に類するものなのかもしれない。と思えば、その存在への道のりへの希望が逆に湧きもしようという存在ではある。なにしろ特別功労賞受賞のその席に参上できる100歳など、そうはお目にかかれまい。

人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
posted by キャッツ・アイ at 05:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文化

2009年01月04日

ホールデン・コールフィールドはいまいずこ?



サリンジャーが90歳とはねえ。孤高の隠遁作家と呼ばれ、猫も杓子も有名になりたがる中で、その名さえ疎んじた無名性の輝きを刻印し続けた作家、短編「コネチカットのグラグラカカ父さん」も記憶に深い。
その映画化が全く気に入らず映画嫌いで、世界的出世作「ライ麦畑でつかまえて」は映画化を許可しない。

少なくとも「ライ麦畑でつかまえて」は、生きているうちに読むべき本の1冊と言えるだろうから、この思春期の心のヒダ襞を鮮やかに描いた名作を読むと、この作家のひきこもりともいえる変人ぶりもいささかは理解できるに違いない。

このサリンジャーですらというべきか、サリンジャー故にこそというべきか、高校を1年で退学処分になったことを考えると、俗物教育なにほどのものぞと言う勇気もわく。所詮、少数派にしかすぎなくとも、その孤塁を実に丹念に死守するような生きざまは、現代にもなお忘れられない心映えだろう。

1965年に発表の「ハプワース16、1924年」が最後の作品だから、実に44年間作家とも言えないわけだが、おそらく書き溜められた草稿が必ずあるはずだから、それが死後もし発表されることがあってもファンたちはもう追いつけないかもしれない。
いずれにせよこの作家の、好んで描かれた社会に出る前の十代の心映えが、後半生でどんな色どりを添えられたのかは、大いに興味の惹かれるところではある。
ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー、村上春樹の訳者解説を拒否し、2メートルの塀で外界を遮断する作家、故にこそそのデリカシイも根深く残照の美を輝かせているのだろうか。

人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
posted by キャッツ・アイ at 15:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文化

2008年12月27日

一時代の終焉を覚えさせる作家の死。



24日、ハロルド・ピンター氏、逝く。享年78歳。
その名があると、興味を魅かれて拾いものをした映画作品も一再ではないし、何といってもジョセフ・ロージーとのコンビでの、「召使」('63)「できごと」('67)「恋」('71)は、映画史にも残る仕上がりであった。

ほんとうのことはこれだ!という描き方をせず、ほんとうはこんなことかもしれない?もしくはほんとうなんて誰にもわからない!あるいはこれもあれもあんな風こんな風にも見えるものです!
そんな描き方ともいえる視点だった。

赤狩りでハリウッドを追われたロージーとのコンビは、赤狩りそのものの不条理もさることながら、この解答を明確に示さない、事象を縷々と語るだけの作劇は、大いに新たな訴求力を映画にもたらし、ロージーの一時代をさらに骨太にするものでもあった。

寡黙でありながらそこに頑固と言ってもいい明確なテーゼを忍ばせていることは二人に共通するものだったから、このふたりの協力の時代に、上記のような収穫が生まれたことは偶然ではないだろう。

ピンターの名前が脚本にあるというだけでTV深夜放映で拾ったポール・シュレイダーの「迷宮のヴェニス」('90)もまた、惨劇が次々と起こる中に、独特のヴェニスの風合いを閉じ込め、きわめて魅力に満ちた作品であった。

俳優としてのピンターを観ることはできなかったが、その風貌からしても性格俳優というような存在感のある、これも独特の地平を保っていたことは想像に難くない。筆者などには、大いにカッコイイ、その存在のありようだった。その営為が生き方に等しい、ある意味うらやましいような仕事ぶりであった。

これからも見逃しているピンターの名で、その作品を拾うことだろう。
幅広いその興味のありようこそがその魅力でもあったし、その興味のありようの道筋にこそ、さらにまた魅惑も高まる存在だった。合掌。

人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
posted by キャッツ・アイ at 11:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文化

2008年12月06日

面白い風習に、歴史ありやろなあ。



ところ変われば品変わる。幸ウンを呼ぶ?カガネル(排便)とは妙!
政治を嗤うにしてもこれも一種のステイタス。欧米主体ではあろうが、これではもうふんぞり返れば返るほど滑稽ということになるなあ。

クリスマス市で売られ、スペイン・カタルーニャ地方では18世紀からの風習で、クリスマスの時期、自宅に有名人や話題の人物を模したカガネルを飾る。繁栄、希望の象徴とされるというのだから政治家諸氏も文句はあるまい。むしろ取り上げられずカガネルになりそこなった政治家こそ無聊をかこつシーズンなのかもしれない。

スペインというと、とかくなにごとも<濃い>感じがするけれど、そのユーモアの現れがコレといえなくはないだろうか。なあに偉そうなことを言っても人みな同じ、カガむ時も永眠(ネル)するときも、避けて通れない人みな通る道――カガネルというわけだ。

18世紀からの風習という。共和制やフランコ独裁の一時期をのぞいては連綿と連なる王制の国。果たしてその王のカガネルは在るのか無いのか、興味を呼ぶところだが、アンタッチャブルな領域なのかもしれない。とにあれ、スグにふんぞり返り威張りたがりエエ気にもなる人類には、この種のお灸も大いに必要ではある。

人気ホームページランキングへ

スポンサードリンク
posted by キャッツ・アイ at 11:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文化

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。